旅先で知る、国民と鳩山政権との「距離感」 (2010年04月号)

 

 地方に講演で出かけるようになってどのくらい経つだろうか。あるときから全国制覇を目指すようになり、4,5年前に47都道府県全てを訪問し終わった。最後は鹿児島だった。最近、出かける頻度はますます激しくなり、例えば今年2月のある週をみると、昼東京で講演して夜大阪へ移動、2日目大阪で講演して金沢へ、3日目金沢で講演して福岡へ、4日目福岡で講演して東京へ戻りテレビの収録、5日目小松日帰り、6日目上諏訪日帰り、といった具合だ。こうして各地をまわって分かったことのひとつが、距離と移動時間とが必ずしも比例しないということ。注目するのは距離ではなくアクセス方法、それが良ければ遠くても早くて便利、悪ければ近くでも時間がかかる。

 例えば福岡、東京からの距離はかなりあっても、福岡、と聞くとラッキーと思う。羽田からの便は多いし、空港から市内へはほんの10分か20分という近さだ。逆に広島、東京からの距離は福岡よりは短いが、遠い、という感じを受ける。空港から市内まで50分ぐらいかかるし、空港が山の上にあり、数年前までは雲や霧でなかなか着陸できないことがあって、時間通り着陸するか否かの不安が常にあった。福岡まで連れて行かれたときもある。新幹線での移動は大阪あるいはぎりぎり新神戸まで、そこから先は飛行機と考えているが、飛行機の便数や空港からの移動距離によっては新幹線となる。つまり東京からの距離感は、実際の距離とは異なり、空港または新幹線駅からの移動時間とそこまでの便数でほぼ決まってしまう。

 雪や台風の季節には、これに天候が加わる。富山、東京からの距離は広島よりもさらに短いが、天候によっては、遠い、と感じる。大勢の方が私を待っている以上、何が何でも行かなければならない。雪で欠航の可能性があれば、一本前の飛行機で、全便が危なければ急きょ電車ということになる。気をもむ分、気持ちの中での距離感はどんどん遠のく。雪は、新幹線であっても関ヶ原を通るときには油断できない。台風シーズンになると飛行機での移動先全てに気をもむこととなる。

 北海道、ここも東京からの距離はかなりあるが、近い、という気分がある。札幌などは新千歳への便はたくさんあるし、市内へのアクセスも電車で便利だ。稚内、日本のてっぺん、天井、でも飛行機であれば、あっ、と言う間に着くし、空港から市内も近い。それに北海道はなんといっても海の幸が美味しい。それだけで、食いしん坊の私としてはぐっと近い気持ちとなる。稚内での講演の翌日、地元の方に案内していただいた市場で大好きな"きんき"、大きくて見事なもの一本を確か1,500円で買い食堂で塩焼きにしてもらい、その全部を一人で食べたときの満足感はいまでも忘れられない。

 四国の太平洋側は、遠い。四万十市と聞いて反射的に思ったのが「ウナギが美味しい」。何のためらいもなく、行く、とその場で答えた。その後に地図を見ると、四万十市がない、あるのは四万十川、合併でできた新しい市のため古い私の地図にはなかったのだが、どうやら高知空港から車で3時間以上もかかるらしい。かなりひるんだが、引き受けた仕事だし、そんな遠くの方々が私の話を聴いてくださるという光栄と喜びもあって、ほぼ2日がかりで出かけた。

 これに比べると、四国の瀬戸内海側は便利、本州との3本の橋が大きく貢献している。名古屋以西の出張で途中に高松行きや松山行きがあるときに本州との往復でこれらの橋を使う。高松と岡山を結ぶJRマリンライナーは、3本のうちの真ん中の橋を走る、両側に瀬戸内海の素晴らしい景色が広がるお気に入りの列車だ。今治と尾道を結ぶしまなみ海道は、今治から大三島に行ったことがあるがそこから先はまだだ。近々、松山から今治、尾道そして福山まで車で一気に走る予定があり、そうするとしまなみ海道制覇となる。残念ながら、夜だが。この3本の橋、多すぎるという批判があるが、そんなことは決してない。現地で実際に利用してみればすぐわかること、四国と本州を、強く、太く結んでいて、両地域をとても近い存在にしている。横に細長い四国のこと、3本なければこうはいかない。

 各地をまわって実感することのもうひとつは日本の土木・建築技術の素晴らしさだ。四国本州間の橋にしても、海の上をいつまでもいつまでも続く橋を走るとき、その立派さ素晴らしさに感動してしまう。川崎と木更津を結ぶ東京湾アクアライン、川崎から海の下に入って行きしばらく走ると突然海上の海ほたるに出る、どういう作りになっているのか、私のような文系人間には理解できない、理解できないからこそ素直に感動できる。羽田空港へ行くときに通るレインボーブリッジ、週末の出張だと息子が空港まで車で送ってくれることがあり、同乗している3人の孫にこの橋の両側の景色をしっかり見るように言う。すばらしいね、と、そしてこれだけ立派な工事を成し遂げた日本の技術の素晴らしさ、レベルの高さ、そういった技術のおかげでこの便利な行程があるということも、幼い孫たちが分かっても分からなくても、その現場で説明する。

 公共事業を悪のように表現したり、コンクリートから人へ、といったスローガンを得意げに掲げる人がいるが、そんな簡単な問題ではない。日本中をまわって、それぞれの現場に居合わせて受ける実感とかけ離れたスローガンとしか言いようがない。技術の高さや素晴らしさに素直に感動し、感謝するほうが日本人としてどれだけ幸せか、利用する一人ひとりがそんな気持ちを持てば、楽しくもなる。そういった投資が技術を維持し高め、地域の利便性に貢献している事実にもしっかり目を向けるべきだ。

 熊本から八代に車で向かったとき、直線距離で35キロメートルほどにもかかわらず1時間半もかかった。片道1車線で、途中で事故による渋滞があって迂回したりした。宇和島から安芸へ移動したときは、同じ四国のなかでありながら電車で5時間以上かかった。飛行機での移動を考えたほどだ。飛行機の場合は、松山・高知間を羽田、大阪、あるいは福岡経由という大回りルートとなる。1時間に3台しか車が通らない道は無駄だ、というような意見もあるが、私は与(くみ)しない。そんな道でもその地域の人たちにとっては大切な道、必要な道、現地に行くたびにそんなことを実感するからだ。道はもういらない、といった議論は便利な大都会に住んでいる者の、全く想像力を欠いた発想であり、大都会住民のエゴとも言えるのではないか。

 この5時間の電車の旅、実はとても楽しかった。トロッコ列車に乗り換えたり、くねくねと曲がる四万十川に沿っての、鉄橋、トンネル、鉄橋、トンネル、またまた鉄橋、トンネル、といったルート。間近に見る鉄橋やトンネルからはそれを造った人々の技術と労力が直接伝わってきて、自然と感謝の念が湧いてくる。新幹線などはその何倍もの技術と労力を費やしているわけで、それ以上の感謝に値すると気付かされたりもする。シミュレーションではなく、現場に足を運ぶのが肝心なのだ。

 新幹線の技術も世界に冠たる技術だろう。新幹線利用であれば日程も安心、狂うことはほとんどない。月のうちの半分ぐらいの頻度で利用している私にはなくてはならない交通機関だ。その信頼性は高く、時刻表通りに発車し、到着する、3分でも遅れようものなら「3分遅れました、お急ぎのところ申し訳ございません」とアナウンスが流れる。遅れてくるのが当たり前のヨーロッパやアメリカの列車とは大違い、これほど信頼性が高くしっかり運営されている交通機関は他の国では見られないだろう。

 技術は日本の宝。国際競争力もあり、輸出できる。製品だけなく、優れた技術の輸出を真剣に考えるべきなのだ。JR東海の葛西敬之会長が新幹線をアメリカに売り込みに行ったようだが、大いにやってほしい。台湾の新幹線はJR東海の技術、日本と同じように山あり、谷あり、川あり、トンネルも多く、しかも地震がある、そんな台湾が日本の新幹線技術を採用したのは大正解だった。もっと世界に輸出し、日本再生のきっかけにしてほしい。

 原発技術も競争力があるはずだが、アラブ首長国連邦(UAE)アブダビ首長国での原子力発電所受注競争で昨年末韓国に敗れている。残念だ。原発反対運動が盛り上がったりした時代があって、原発建設では後進国の韓国に負けたりする。技術は活用する場があってこそ伸びるもの、公共投資はしない、原発は造らせないでは将来を誤るだろう。

 日本はまだまだ底力がある。技術で勝負できる国だ。高い水準の技術が多々あり、これを大切にして、感謝して、誇りにする、そんな日本人が増えていけば、一人ひとりの生活が安定し豊かになることだろう。資源の少ない国であれば技術力を輸出して繁栄することを考えるべきなのだ。

 若者が真面目に勉強し、理系に進み、しっかり働く、少しでも社会の役に立つといった気概をもって日々を過ごす、大人は若者をそのように導く責任と心構えを持つ。技術を継承し、育てる、そこにこそ日本の明るい未来があると私は信じている。

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