散らつく中国の家父長意識 (2004年09月号)

 
 中国人とはまた何と因果な性分の人たちなのだろうか。彼らを知りすぎるほど知っているつもりの私ではあるが、このところあらためて首を振って慨嘆することしきりである。

 例えばほぼ2月前の5月19日(日本時間で20日)、ワシントン市内で一つの象徴的な出来事が起きた。市の中心から少しはずれた高級住宅地区に、広大な 庭園に囲まれた豪邸が建っている。これは戦前、米国との蜜月時代に購入された中華民国大使公邸で、Twin Oaks(中国名「雙橡園」)と呼ばれ、今は迎賓館として利用されている。その日、台北で行なわれる陳水扁総統の就任式に合わせて、ここで祝賀パーティが 開催されることになっていた。

 ところが当日、雙橡園を訪れたのはわずか200余人、それも「外国人の賓客の外は、他はほとんどすべてが台湾人で、あっちでもこっちでも台湾語の響きが 耳に絶えなかった」、と忌ま忌ましそうに書いたのは統一志向の「中国時報」であった。この新聞の主要な購読者である台湾の外省人にとって、この迎賓館は六 十数年来彼らの権力と栄華の象徴であった。しかし、彼らが無条件で永遠に台湾に君臨するかに見えた時代は今や去り、彼らがそれまで歯牙にもかけようとしな かった台湾人の総統の就任を、この「中華民国」の栄光の館で祝うことになろうとは...。これは彼らにとって耐えがたい屈辱であったに違いない。そこで、それ まで迎賓館の祝賀行事の常連だったワシントン在住の外省人は、一斉にこの祝賀会をボイコットしたのであった。雙橡園は台湾人によって奪われたと彼らは感じ た。「中国時報」がいみじくも書いたように、今や雙橡園は、かの詩人ミルトンが詠嘆したところの「失楽園」と化したというわけだ。

 祝賀会に出席するもしないのも個人の自由であるが、外省人の一部は×印をつけた陳水扁総統の写真を大きく掲げて雙橡園の周囲をデモ行進した。祝賀会の主 催者である駐米代表(駐米大使)の程建人が館外に出てデモ隊と話し合おうと試みたが、「お前は汪精衛だ!」と悪罵を浴びせられる始末だった。

 ワシントンからの報道のこの件(くだり)に私は一番愕然としたのであるが、なぜ程建人が汪精衛に準(なぞら)えられたのか、読者諸賢は想像できるだろうか?

 練達の職業外交官として知られた程建人は外省人で、2000年に陳水扁によって駐米大使に任命された人物だ。それだけでも許し難いのに、今度また陳の2 度目の就任祝賀会を主催するとはまことに言語道断、中国を裏切って日本に協力したかの汪精衛にも比すべき大漢奸!というわけなのである。

 とうとう陳水扁や私たち台湾人は、はっきりと日本人並の「敵」にされてしまったわけだ。口を開けば「台湾同胞は中国人」と言ってやまない彼らであるが、本音は大体こんなところであろう。

 彼らのこのような妄執の根底にあるのは、中華民国と中華人民共和国とを問わず中国人の共通の宿痾ともいうべき華夷秩序意識であろう。例えば私が台湾で 習った歴史教科書では、ベトナムは1862年にフランスに取られるまでは古来から中国の領土だったとなっていた。彼らにとってベトナム人とは胡志明(ホー チミン)であり呉廷炎(ゴージンジェム)であり、あくまで自分の弟分のつもりでいたが、ベトナム人にとって中国のひとりよがりの家父長意識など迷惑千万で あった。1970年代に入ってベトナムが急速にソ連に接近した時、中国は「身内に裏切られた」と激怒し、79年には「懲罰する」と称して突如ベトナムに侵 攻した。ベトナムが米国と必死に戦っている最中、敵の大将ニクソンを北京に招いて茅台(マオタイ)酒を振舞った自分の裏切りについては、まったく反省しな い独善ぶりだ。

 台湾問題については「2つの中国」の陰謀などと世界を恫喝しておきながら、自分は韓国と国交を結び、「2つの朝鮮」を作って恬として恥じない。裏切られた北朝鮮の気持ちなど意にも介さない。

 この7月10日から3日間、次期シンガポール総理リー・シェンロンが台湾を訪問した。中国は「2日前に初めて通知してきたのは怪しからん」とシンガポー ルに強烈に抗議し、報復措置を決めた。シンガポールはれっきとした独立国であり、誰がどこに行こうと第三国の許可など必要ない。それを必要とするところに 中国の抜き難い家父長意識がちらつく。今度のリーの行動は、中国の反応を十分に予想した上で、「いつも貴方の言いなりにはなりません」と、独立国の気概を 示したのであろう。
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