友人たちの切なる望み (2009年04月号)

 

 中川昭一前大臣が集中砲火を浴びている。テレビの画面であの醜態をくり返し見せつけられれば、誰もが呆れ果てて、友人さえも言葉を失う。産経新聞の「週刊誌ウォッチング」(2月21日付)で月刊「WiLL」の花田紀凱(かずよし)編集長の愛情あふれる言葉が唯一の救いだった。

 「中川昭一前財務相は間違いなく、将来、総裁の座を狙える政治家だった。その知識、見識、説得力。曰(いわ)く言い難いチャーミングさ。大いに期待し、酒癖については心配していた。残念な結果になったと言うしかない」(中略)「直前に食事した時に同席していたという新聞記者も、同行した周囲の役人たちも、あんな状態の中川氏に、なぜ会見をやめさせなかったのか。中川氏の再起を祈る」

 読売テレビ「たかじんのそこまで言って委員会」(2月22日放映)でも同じ発言をしたが、周りの人たちは余りにも「愛」がなさすぎると。会見後バチカンまで出かけて、またもやバッシングのタネをつくったが、そこには駐イタリアの日本大使も同行していた。なぜ「お疲れの様子だから、この見学はキャンセルしましょう」と言えなかったのか。日本人は今や気遣いも、判断力も、勇気も失ったのか。実に嘆かわしい。

 中川さんとは十年の長い付き合いである。初対面はたしか西村眞悟議員の出版記念会であった。ツカツカと近づいてきて挨拶してくれたのが、若き農水大臣だった。現職の大臣から自己紹介され、気さくに話しかけられるのは初体験で、強く印象に残った。その後、テレビ朝日の番組で隣り合わせに座って、話がはずんだ。「一度台湾に出かけて、新任の陳水扁総統に会いませんか」と持ちかけると、即座に「行きましょう」と話がトントン拍子に進んで、数日後、彼は台湾に飛んで、陳総統と会見し、大きく現地のメディアに報道されていた。フット・ワークの良い、行動的な政治家である。

 それからの中川さんの活躍は目ざましい。ウィキペディアから引用すれば「経済産業大臣時代、中国とのガス田問題では強硬な姿勢を崩さず、帝国石油に初めて試掘権を与えた。中国側の要求する共同開発についても、前提として日中中間線より中国側でも日本側に試掘を認めるよう再三要求している。また拉致問題に早くから取り組んできた政治家の一人であり、拉致議連の会長もつとめた。家族会代表の横田滋は最も信頼する国会議員に中川、安倍晋三、西村眞悟の3人を挙げている。毎年靖国神社に参拝することも欠かさず、経産大臣、農水大臣の職にある際にも参拝をしている」

 これだけ見ても彼が「大国に阿ねらず、小国を侮らず」を貫く、数少ない政治家の一人であることが分る。台湾が日本にとって、国交が無くても、現実的には「重要なパートナ」であると熟知していて、李登輝元総統の来日にも、陰に陽に尽力していた。

 「台湾」と聞いただけで、敬して遠ざかった多くの政治家や官僚と異なり、政調会長時代、要請に応じて日本台湾医師連合会発足六周年の記念講演を行った('07・4・15)。同会は日台交流を創立の精神とし、年に一度の会合に重量級の講師をお招きしている。第一回の講師は小沢一郎自由党々首(当時)であり、副幹事長時代の安倍晋三氏も登場された。

 中川さんは友情にも厚い。西村眞悟議員の会合は大臣在任中も、万難を排して顔を見せていた。私の挨拶の途中に現れて、「金さんが民主党を応援している」とギャグを飛ばすが、実は必ず「私は民主党を応援するためにここに立っている訳ではなく、西村さんにエールを送るために来ました」と断りを入れているのだが、そこのところはいつも聞き洩らしていて、会場に入ると、「金さんが民主党を応援しているんだよなあ」と皆を笑わせる。そんな中川さんは本当にチャーミング。自民党がマスコミの総攻撃に晒されて、逆風真只中の今、彼を愛する友人たちがどれだけ心を傷めているのか、本人はしっかり受け止めなければならない。

 時差、薬、酒。体調が悪いときに複合的なダメージが一斉に押し寄せたあの失態。しかし、弁解の余地はない。国を代表して重要な国際会議に出席するからには斎戒沐浴の覚悟で臨むべきなのだ。

 「がんばれ・日本一・がんばれ」と奥方の切なる叫び、愛の深さ。酒を断ち、リハビリに徹し、心身共に健康を取り戻し、カムバックして欲しい。友人たちの切なる望みでもある。

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