中国の反日は、こじつけ御都合主義 (2004年11月号)

 
 このところ、中国の反日騒動に対する国内のさまざまな反応がマスコミを賑わせているが、おおむね当を得た意見が多いようだ。ひところに比べると、中国を見る目もだいぶ成熟してきたように感じられるが、いくつか気になる点を以下述べる。

 重慶・済南・北京と転戦した各地の競技場で、何度も執拗にくり返されたあくどい侮日・嫌日の行動について、これをかのフーリガンの狂態に準えて論じ、そ の意味を故意に矮小化・非政治化しようとする論調がいくつか目についた。朝日の社説「たかがサッカー、されど」は、中国人が現状不満を反日に託して晴らそ うとしたのだと説明し、「そうであれば、スタンドの『反日』をいたずらに過大視することは賢明ではない」と主張している。何のことはない、「中国人の多数 は反日である」という今やだれの目にも明らかな単純な事実だけは何としても認めたくないという構えだ。かつてこの新聞の社長は、「報道の自由より日中友好 のほうが大切だ」との迷言を吐いたことで有名だが、この歴史的な"社是"はいまなお健在なりというところだろうか。

 皮肉なことに、ひたすら「反日」を否定するこのような論法に接して、だれよりも腹立たしく思っているのは、朝日が弁護したつもりでいる当の反日群集たちであろう。彼らの心中を推し量ると、恐らく次のようになるのではあるまいか。

 「こちらはあの小癪な小日本(シャオリーベン)たちに目に物見せてやろうと一発教訓を噛ませてやったのに、奴らの大新聞ときたらまともに受け取ろうとも せず、『あまり本気にするのは賢明ではない』などと茶化す始末で、何の反省もない。さても憎き日本鬼子(リーベンクエツ)め!次の試合ではもっとよくわか るよう教えてやる」。

 かくして、彼らの反日のボルテージがますます上がったとしても不思議ではない。

 多くの方はもう覚えてないかもしれないが、20年ほど前の1985年にも、9月18日の北京大学生らによるデモを皮切りに、中国各地で一連の反日騒動が起きている。このときの主なスローガンは、

 (一)日本政府閣僚の靖国参拝反対
 (二)日本の防衛費一%枠撤廃反対
 (三)日本の経済侵略反対
 (四)日貨排斥

等々であったが、今思えば今昔の感がある。

 結局、この年から、時の首相の中曽根さんは靖国参拝をやめたし、またこの年の防衛費一%枠は破られなかった(一方、中国は今日まで長年にわたって二桁台 の防衛費を継続し、原爆や弾道ミサイルなどを着々と整備拡充してきた)。しかし、日本がこうして譲歩したからといって、中国人の反日は収まるどころかます ます激しくなっていった。90年代に入ってからは、もはや階級意識では動かなくなった民衆を愛国に駆りたて、共産党を中心に団結させるための新たなモー ティベイションを与えるものとして、江沢民総書記によって反日が"国是化"され、日本を憎み、日本人へ嫌悪を仕向ける教育が公的に推進された。この間の経 緯は、日本の政府も主要マスコミもともに見てみぬふりをしていたという驚くべき事実を含めて、鳥居民著「『反日』で生きのびる中国」(草思社)に詳しい。

 前記(三)、(四)のスローガンに至っては、正に噴飯の思いというしかない。彼らが「経済侵略」というとき、それは外国資本の流入を意味するが、そんな スローガンを叫んだ舌の根の乾く間もあらばこそ、今度は改革解放政策とやらで、国を挙げて日本や諸外国の資本を呼び込むことに躍起となっている。また「日 貨排斥」を言うなら、意地でも日本製品を買わない、使わないはずなのに、日本製品の偽造品・模造品が氾濫する現実は何と説明すべきか(偽造・模造品は国産 品だから構わない?)要するに、彼らの反日の理由など如何様にでもなるこじつけや御都合主義。真実はただ一つ、彼らの多くが、ほとんど理屈抜きに日本人を 疎ましく思っていることだ。

 こんなことは、香港でも台湾でも、はたまたシンガポールでも、いわゆる華人系が多く居住する東アジアの各地ではほとんど常識のようなものだが、ひとり日 本人だけは自分が背後でウワサされていることも知らず、ついこの間まで「同文同種」、「子子孫孫の友好」などと自己陶酔に浸っていた。この状況を私の連れ 合いは、古川柳を引用したいささか品の悪い喩えで、次のように表現している。

 「町内で知らぬは亭主ばかりなり」
ページトップへ