小沢一郎流「政党支配」の次に来るもの (2010年03月号)

 

 1月15日、日本テレビの番組(午後8時ー9時)「太田光の私が総理大臣になったら・・・秘書田中」のマニフェストは小沢幹事長に対する辞任勧告「出しゃばり過ぎるので小沢幹事長には議員辞職してもらいます」だった。夜もかなり更けたころ、テレビの画面に衝撃的なテロップが流れた。「石川知裕議員逮捕」、続いて逮捕された小沢一郎氏第一秘書、元秘書総勢三人。前代未聞の展開になった。

 実は編集によってかなりカットされてしまってオンエアされなかったが、収録で私は、常識では考えられない四億円もの現金の授受について述べている。鳩山兄弟への母親からの月千五百万円もそうだが、現金での授受、これは痕跡を残さないための手立てとしか考えようがない。つまり知られたくない金。普通は、これだけの大金を持ち歩くなどということはまずなく、安全な銀行振込などを使う。それによって記録が残り、お金の出入りが分かりやすくもなる。それがむしろ困るのだろう。闇から闇へと隠したい、闇献金、脱税と見るのがごく自然、つまりウサン臭いのだ、と発言した。

 多くの人が期待し、「クリーンで人にやさしい政治の民主党」を選んだ。しかしトップ二人が(どっちがナンバーワンかは言うまでもないが)、この体たらく。民主党に一票入れたのは間違いではなかったかと早くも反省し始めている人がいる。少なくとも支持率は確実に下がっている。しかもいまや小沢幹事長の意思で全てが動く状況。これは非常に危険なことだ、と声を大にして言わなければならない。

 政権与党の幹事長に就任して以来、小沢氏の独断専行は目に余るものがあった。詳細を数え挙げるのも疎ましいほど、傍若無人である。洞察力があればそれは予知できたことなのだが、多くの有権者にそれを求めるのは無理なのだ。

 ここ数ヶ月、私が思い浮べているのは、かつて観た映画「キャバレー」のシーン。ベルリン郊外の自然豊かなオープンエア・レストラン。やおら少年(ヒトラー・ユーゲント?)が美しく澄み切った声で「明日は我らのもの」と歌い始める。その腕には鉤十字。最初は純情無垢な声に聞き惚れていた客席の老若男女が、次第に唱和を始め、ついには恍惚感に包まれ全員起立して大合唱となる。

 私は民主主義と全体主義の分岐点を目撃したように思い、鳥肌が立つような恐れを感じた。ヒットラーは民主的に政権を奪取し、1934年には国民投票で90%近い支持率を得て国家元首となった。その後の悲劇はここで触れるまでもないだろう。その歴史を学ぶことで、民主主義が簡単に衆愚政治や全体主義に堕してしまう危険性のあることを肝に銘すべきなのだ。それは知識人の義務ですらある。

 政権交代とともに小沢氏の本音が露骨に現れ始めた。選挙のプロとして政権奪取を果たした小沢氏は、「真の権力者」として君臨し、党内には「小沢賛歌」の大合唱に加われない者は黙りを決め込むしかなくなったように見える。その証拠に、朝貢外交以外の何物でもない小沢訪中団の振る舞いを批判する声は党内からいっさい聞こえてこない。アイドルのサイン会に列を成す少年少女のように、嬉々として中国の胡錦濤主席と握手を交わし、ツーショットの写真に収まる新人議員を批判することもできない。民主党には国益を守ることについて見識を持った議員がいたはずなのだが・・・・。

 この度の小沢氏側近の逮捕にもほとんどの民主党議員は堅く口を閉ざしている。個人的に話すと批判的な話も出てくる方も、表立っては何も言わない。このような危機的な状況の下、嘆かわしい話である。年間一人1億円もの税金をついやすからには、国政に献身し、国益第一に励むべき者が、小沢氏の顔色をうかがって身動きできないでいる。

 偶然にもミュージカル「キャバレー」が日生劇場で上演されている。しかし話題になるのは主演者藤原紀香の魅力的なスタイルと露出度の高い衣装ばかり。原作者の最大の意図であった政治的背景については誰も言及しない。ヒトラーが登場した時代とわが国の現状を重ね合わせて考える者は皆無である。今や、あのレストランのような大合唱がわが国を覆い尽くそうとしているのに。

 幸か不幸か、民主党のトップ二人の「金銭問題」が大きく浮上した。有権者が民主党離れをするのは時間の問題だろう。その人たちを自民党に向けさせることが出来るかどうか。正念場である。

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