『中国人の因果な性分』を憂う (2004年10月号)

 
 「中国人とはまた何と因果な性分の人たちなのだろうか」。先月号の冒頭にちょうどそう書いたばかりのところへ、サッカーの試合をめぐって中国で一連の反 日騒動が起きた。日本各界の人士や各紙誌は中国人のこの無体な蛮行に対して今度ばかりはおおむね仮借のない批判を加えている。

 思えば40数年前、早稲田の教室で、「中国人はみな聖人君子です」と説く安藤彦太郎教授の講義に接して、台湾から留学してきたばかりの私は、仰天のあま り椅子からずり落ちそうになったものだ。爾来、一部の政治家やマスコミによって煽り立てられた中国幻想化や日中友好熱の異常な空気の中で、台湾人の言うこ とに耳を貸す人などいなかった。

 1996年の初夏、佐賀大学での講演会に出た私は、話の中で中国人の反日意識の強さについて触れた。質疑応答になったとき、聴衆の中の一社会人から猛烈 な抗議が出た。中国人が反日などとはまったくのデタラメだというのだ。現に彼のペン・パルは最近も中国から手紙を書いてきて、日本文化への憧れと日本留学 への願望を吐露してきたのだという。

 この(たぶん善意の)人に何と答えるべきか、私の気持ちは複雑だった。私は日本語学校を経営していて、同趣旨の手紙なら中国から毎日のように受け取って いたが、長年の経験で決してこれにかかわらなかった。たった一度だけであったが、文字も文章も立派な一人の入学申込者に入学許可を出したことがあった。と ころが姿を現したその中国人は、入学3日後に忽然と失踪した。何のことはない。不法残留の出稼ぎのために私の学校が利用されただけのことだったのだ。

 面白いのは、佐賀の講演会から2日後、ニューヨーク・タイムズの前北京支局長で当時東京支局長だったニコラス・クリストフ氏が朝日新聞に、「中国人の大 多数が抱く日本に対する敵意に、大部分の日本人がほとんど気付いていいないことに、私は衝撃を受けている」と書いたことである。恐らく「朝日」の読者であ ろう佐賀のあの人は、どんな気持ちでこの文章を読んだであろうか。最近大評判になった「『反日』で生きのびる中国」(草思社)の著者である畏友鳥居民氏 は、「(当時朝日では)だれひとり、クリストフの論文を取り上げることなく、触れようともしなかった」と書いている。

 私としては、今度のサッカー事件で、「どうやら日本人も、中国人に好かれていないことがやっと分かってきたようだ」と、ちょっぴり嫌味を利かせて言いた いところだが、これは当たらない。本当は、日本の新聞は中国人の嫌日感情を百も承知で、あの歯の浮くような言説を垂れ流してきたのであろう。

 今度の事件についても「朝日」は、「考えるべきはなぜ日本が標的として使われやすいかだ」として過去の侵略や靖国参拝に原因があると論じている。これで は、中指を突き立てて卑猥な言葉を連発する中国人暴徒たちの言い分を、そのまま鵜呑みにしただけの話である(彼らは試合に不正があったとも主張していた が、さすが「朝日」もそこまでは付き合いきれなかった)。

 さて「朝日」の提案に応じて、なぜ日本が憎悪の標的になりやすいかを考えてみよう。もし「朝日」のいうように過去の侵略が原因なら、なぜ日本と並んで例 えば英国やロシアが同じ標的にならないのだろうか。どちらが先に発砲し排発したか今もって定かでない「盧溝橋事件」に比べると、アヘン戦争の方は、かのグ ラッドストーン卿をして「いまだかつてこれほど不道徳な理由で戦争が行われた例があっただろうか」と嘆かしめたほど非道なものであった。国民党時代の台湾 の大学で理系学生にまで必修となっていた「俄帝侵華史(ロシア帝国中国侵略史)」では、シベリア・中央アジアの広大な「領土」がロシアに強奪されたとなっ ているのだ。なぜサッカー場で中国の人々は口々に、「日本だけは許せない」と叫ぶのか?「朝日社説」ではここが説明つかない。

 問題の鍵は中華思想に基づく華夷秩序意識が、中国人にとって「中国教」ともいうべき一つの疑似宗教を形成していることにある。「異教徒より異端者が憎 い」というが、異教徒である英国やロシアは良くても悪くとも所詮「異国」の話だ。しかし、華夷秩序の下位に位置すべき属国の分際で御本尊に先がけて近代化 し、あまつさえこれに弓を引く異端者日本だけは、絶対に許せない。「中国人の因果な性分」とはこのことを指しているのだ。
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