後戻りできない台湾化の流れ (2002年02月号)

 

 12月1日、台湾の命運がかかった立法院(国会)選挙が行われ、昨年三月の総統選挙で初の政権交代を果たした陳水扁総統の与党、民進党が圧勝、第一党に 躍進した。第2次大戦後台湾を独裁統治してきた国民党は、議席数を約4割も減らし、最大政党の座から滑り落ちるという惨敗を喫した。

 今回の選挙は、台湾の独立を志向する本土派2党(民進党、台湾団結連盟)が、中国寄りの3野党(国民党、親民党、新党)と、台湾人のアイデンティティを かけて戦った。経済の悪化や失業率の増加など、台湾が直面している課題は多々あるが、争点は台湾人としてのアイデンティティを堅持し、更なる台湾化を進め ていくのか、或いは中国との統一を志向し、大陸に歩み寄るのか、に絞られた。

 立法院の議席数が3分の1の少数与党・民進党は、昨年5月の政権発足以来、野党の協力を取り付けることができず、独自の政策を推進できないジレン マに陥っていた。私は、選挙応援で計9回帰国し、その都度、「陳水扁総統に過半数を与え、民主国家台湾を守ろう」と訴えてきた。

 李登輝前総統も、選挙の結果如何では、自らが促進してきた民主化、台湾化が大きく後退しかねないとの危惧を持ち、政権の八方塞の状態を打破すべく 立ち上がった。総統の座を退いてもなお、台湾のリーダーとして多大な影響力を持つ李氏は、台湾団結連盟結成以来、精神的シンボルとしてその力を発揮、本土 派の大きな追い風となった。

 蓋を開けてみると、結果は立法院の定数225議席のうち、与党民進党87(改選前65)、国民党68(110)親民党46(20)、台湾団結連盟 13(1)、新党1(8)、諸派・無所属10(14)となった。前回の議席数との増減を見れば、明らかに台湾本土派に軍配が上がったと云えよう。李登輝前 総統時代に始まった台湾化の流れは、昨年の総統選挙をへて、もはや後戻りのできないところまできたことが、これで証明されたのである。

 私は今回、台湾の選挙を視察するツアーを企画し、日本全国から広く参加者を募った。自らの手で自由と民主を守ろうと戦っている台湾人の気迫を感じ てもらい、運命共同体である隣国・台湾への理解を深めてもらうことが目的であった。参加者は、19歳から84歳までの老若男女入り混じった大視察団となっ た。一行120人は選挙戦終盤の11月29日に台湾入りし、熱気に満ちた台湾の様子を目の当たりにすることとなった。台北近郊や市内で、各候補者の選挙活 動を視察し、29日夜に台湾団結連盟、30日には民進党の集会の様子を観戦した。100名をも超える日本人が、台湾の民主主義の行方に関心を寄せ、自ら費 用を払い訪台したことは前例がなく、メディアの注目するところとなった。

 投票日の12月1日夜、台湾人120人の招待によって開催された"日台交流パーティ"では、開票結果を見ながら乾杯の盃が交わされ、台湾最後の夜は賑やかにふけていった。

 「選挙のものすごい熱気が強烈に印象に残っています。それは、多くの人々の犠牲の上に、自分達の手で民主主義を獲得したからこそのものだと思いま す(22歳、学生)」「過去、色々な国を旅して参りましたが、このような心の触れ合う旅は初めてでした。台湾の方々が私達日本人と歴史を共有されているこ とを知り得たのは何ものにも代え難い収穫でした(76歳)」「頑張れ台湾ツアーは、頑張れ日本!のメッセージが込められていると感じました。今後は更に、 台湾の人々から信頼される日本人にとして自分を戒めていきたいです(31歳、会社員)」「台湾は何度か訪れているが、今度もやはり人々は暖かい。この親密 感がかつて歴史を共にした時代から今に伝えられている財産だとすれば、日本人は今現在、この財産をどう扱っているのだろう。もしかして使い込み、食い潰し てはいないか。『台湾の為に、日本の為に』と乾杯する時、台湾人から「日本頑張れ」と言われたとき、ではこれから将来に向って私達日本人は何から始めよ う。(38歳、教師)」。ツアーに参加した人々の声である。

 巨額のお金を貢ぎ、声高に"友好"を叫ばなければ関係を保てないどこぞのお国とは違って、台湾と日本には、多くの障壁を越えてもなお余りある深い 絆がある。21世紀最初の年末は、日台関係の更なる明るい未来を予感させるものとなり、私は晴れ晴れとした気持ちで新年を迎えることとなった。

ページトップへ