台湾立法院選挙を終えて (2005年02月号)

 
  年末の台湾立法院(国会)選挙において、台湾独立志向の与党連合(民進党・台湾団結連盟)が中国統一志向の野党連合(国民党・親民党・新党)に国会議席の過半数を許した。

 世界のニュースはこの結果を「野党が過半数」、「与党連合が敗北」などの見出しで大きく報じた。私は11月中旬と12月初旬の2度にわたって台湾各地を応援演説で飛びまわり、自分でも与党の候補者に一票を投じ、開票の3日後に日本にもどってきた。選挙結果が判明したときの独立陣営の失望落胆ぶりと、対照的な統一陣営の欣喜雀躍ぶりを私は目の当たりにしたが、日本の国会議員選挙で開票後よく見掛ける喜怒哀楽の光景とはおよそ次元の違う凄まじさであった。日本ではどの政党が勝っても負けても、日本は日本であるという究極的な安心感があるが、台湾の場合はそうはいかない。選挙で一歩踏み違えれば立ちどころに中国の侵略を許し、台湾社会の中のもっとも優れた部分が(かつての二・二八事件のときのように)抹殺され、私たちの伝統と価値観が一朝にして引っくり返されるのだ。

 もちろん私も誰とも口も利きたくないほどガックリきた一人であるが、それよりも何よりも無性に腹が立ってならなかった。腹が立ったのは一にわが台湾同胞の腑甲斐なさ、二に中国統一派の悪辣さ、三に日米両国政府および官僚のわからなさ加減だ。

 台湾人自身の腑甲斐なさは、何よりも59.2%という過去最低の投票率によく象徴されている。昨年3月の陳水扁総統再選にともなう野党党首の執拗な悪あがきが裏目に出て、野党の人気は長期低落傾向を示していたので、年末の国会選挙についても、与党支持者の間では早い時期から楽勝ムードが広がっていた。

 これに対して野党は、「国会で独立派が多数を取れば、中国が進攻してきて戦争になる」と、恐怖を煽り立てる戦術に出た。同じ恐喝戦術は実際にミサイルを撃ち込んだ1996年の総統選にも、朱鎔基首相が"満面朱を注ぐ"表情で「お前らいまに見てろよ!」と台湾人に凄んでみせた(ワシントン・ポストは「まるでマフィアさながら」と評した)2000年の総統選にも、中国政府によって採用されたが、これが逆に台湾人の反感を買って、連続して独立派の総統を誕生させる羽目になってしまった。いずれも江沢民時代のことである。

 この前例に懲りてか、胡錦涛政権は台湾の各種選挙に対して以前のような露骨な威しは多少控えるようになったかと思われた。しかしそれも束の間、自らの失策から追いつめられた野党陣営が、北京に替ってこの同じ手を使い始めたのであった。彼らは台湾統治の経験も長く、台湾の民情を熟知し、メディアの大半を抑えているので、同じ恐喝戦術でも北京のような身も蓋もない乱暴なやり方ではなく、よりキメ細かく、より効果的に、あたかも台湾人の安全と利益の立場に立っているかの如く装って、人々に自党への投票を呼びかけた。その本音は、端的に言うと、独立派を勝たせて中国を怒らせたら、あとでどのような後難が身に降りかかるかわからない。統一派だと中国も攻めてこないから、それが一番無難だ、というものである。こうして、中国による併呑を決して望まない人でも、その票が統一派へ流れるというメカニズムが作られたのである。

 実はこれは国民党の常套手段で、彼らはこの60年来一貫して、中国共産党への恐怖を煽ることによって台湾の民主化を阻害し、自己の権力の維持を計ってきたのであった。いまや彼らは北京政権による「台湾探題」にすぎないことが明らかとなったが、こんなことも見抜けないわが同胞の腑甲斐なさに、私は情なくて涙も出ないというところである。

 そして、中国統一派のこのような術策を、無意識のうちに側面から助勢しているのが、何かにつけて「中国を怒らせてはいけない」の思考が優先する日米両国の一部高官たちである。言う必要性も必然性もない情況で、彼らはリップサービスででもあるかのように、「台湾の独立を支持しない」「住民投票は支持しない」を連発してきた。クリントン然り、ナイ然り、最近ではパウエル然り。日本では・・・いや、やめておこう。

 最後に一つだけ気の休まる情報を。今度の選挙の得票率は与党が41.14%から43.51%へ上昇。逆に野党は47.13%から46.73%へと下落。傾向としての与党上昇、野党下落はまだ終わっていないのだ。。
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