旧態依然の台湾認識からの決別を (2002年03月号)

 

 「オンリー・イエスタディ」という言葉がある。つい10年前まで、世界の台湾大公使館には私の手配書がまわっていて、いかなる理由であれ此の者の帰国を 許可してはならないと指令が出ていた。私が大中華思想にとって最大のタブーを破った極悪非道の大悪人、つまり台湾独立運動者だからであった。

 この禁令は1992年に解かれ、私は31年ぶりに台湾に帰った。空港で歓迎の人波にもみくちゃにされながら、今昔の思いで胸一杯であった。あの遠 い日、ひとり台湾を離れる私はまだ若かった。これが見納めになるやもしれぬと、何度も後を振り返って見た悲しい私の故郷。そこでは来る年も来る年も、まる で未来永劫のように戒厳令がつづき、善良な紅顔の若者たちは神隠しのように姿を消し、残された人々はただ押し黙っていた。

 今や李総統の下で急速に民主化する台湾。この趨勢が必然的に「台湾の台湾化」へと導くことを私は直感した。もともと「中華民国」とは外来亡命政権 が暴力的に作り上げ台湾人に押しつけた虚構である。人々の自由な意志が確実に反映される政治システムの下では虚構は必ずや崩壊し、民衆の自然の意識に即し たアイデンティティが回復するのは必定である。司馬遼太郎氏の表現(「台湾紀行」)を借りると、「太陽が桃の花の蕾をひらかせるように、ごく自然に、台湾 における"空想"の部分が消え、現実の島と住民に根ざした国が、生物学的なおだやかさで再誕生する時代がくるに相違ない」のである。

 この31年ぶりの帰郷から戻ってきて私が痛感したのは、旧態依然たる日本の台湾認識である。その認識の原型は、「われわれは、中華人民共和国政府 が中国を代表する唯一の合法政府であり、台湾は中国領土の一部であって、台湾問題の処理は中国の内政問題である、との立場をとる」と言明した71年元旦の 朝日新聞の「提言」であるが、これがまるで「公理」ででもあるかのように無批判に受取られてきた。台湾の生きた現実を無視して、日本はあくまでこの「公 理」を墨守する気でいるように見えた。

 1993年9月3日、私は朝日新聞の「論壇」に投稿して次のように書いた。

 「台湾の民主化はほどなく日本に大きな問題を突きつけることになろう。日本の民主主義の真贋、そして国家としての品位が問われる重大な問題であるが、果たしてどれだけの人がこれに気付いているだろうか」

 「提言」のどこが問題なのだろうか。その前半は当時国連で争われていた中国代表権問題に対する一つの結論で、その点に関して私はまったく異存はな い。しかし「提言」は北京政府の正当性を主張するのに急なあまり、台湾の将来の帰属については甚だ御都合主義的な「立場」をとって、中国領だとか内政問題 だとか、勝手に論断したのであった。

 台湾の法的地位及び将来の帰属という問題は、戦後一貫して国際間の論議の的となってきた。中国を外交承認した諸国も、ほとんどの国が台湾の帰属を 確認することを巧みに避けてきた。日本の場合でさえも日中共同声明に署名した大平正芳外相は、台湾の領土権についての中国の主張を日本が承認したわけでは ない、と日本政府の立場を明らかにしている(「毎日新聞」1972年10月7日付)。世論はほとんどこれを知らない。

 諸外国が多かれ少なかれ台湾の将来についての配慮を示して、「保留」的態度を取ってきた中で、台湾人とは浅からぬ因縁のある日本の世論が、マスコ ミに誘導されるまま、かくも無惨に台湾人の気持を逆撫でして平気でいられるのは悲しい。何よりも、当事者である台湾人をさしおいてその未来を論断すること の不遜さと非礼さになぜ無感覚でいられるのか。生きた人間の意志や人権より、封建帝国時代の版図の概念を優先させるアナクロニズムをどのように説明できる のか。

 日本は中国に対して罪を贖わなくてはならないから、と言う人がいる。しかしそれは日本自身の都合であって、何の罪もない台湾人をそのための人身御供にするという発想は、まともな人間のすることではないであろう。

 去年の暮の台湾国会選挙では、綱領に「台湾独立」を謳う民進党が第一党に躍進した。今後台湾が独立国への道を着実に進んでいくこと必至である。その事態を日本はどう迎えるつもりか。民主主義国として恥ずかしくない心の準備はあるのだろうか。

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