匹夫も志を奪う可からず (2002年10月号)

 

 去る8月2日から3日間、世界台湾同郷連合会第29回年次総会が、「台湾の心、台湾の魂」をメーンテーマに、東京池袋で開催された。世界各地から参集し た約600人の海外在住台湾人に向けて、台湾の陳水扁総統がインターネットを通じてメッセージを送ったが、次の3点の発言内容が注目され、大きく国際的に 報道された。

 (1)台湾は主権の独立した国家である。
  (2)海峡をへだてて、台湾と中国はそれぞれが一つの国家である(「一辺一国」)。
  (3)台湾の未来についての決定は住民投票によらなくてはならず、そのための立法化は切迫した重要事である。

 以上3点の中で(1)と(2)とは、いわゆる「二国論」として李登輝前総統がつとに(1999年7月)明確にしていたところで、別に陳総統がここで新しい国家理念を打ち出したわけではない。しかし、この陳発言が大きな注目を引いたのにはわけがある。

 2000年5月、少数与党の状態で発足した陳政権は、原発問題、自然災害問題など内政上の難局を乗り切るのに懸命で、論争必至の台湾国体論にあえ て触れることをずっと避けてきた。そのため、陳水扁は李登輝が推し進めた線から大幅に後退したとの批判が味方陣営からさえ出てくることもあり、新総統に とっては隠忍自重の一年間であった。

 ところが2001年を迎えるころまでには、陳総統は一時は総統罷免論にまで発展した危機を見事に乗り切り、同年末の総選挙では与党の第一党躍進と いう成果を上げた。さらに今年の5月には、国名を「台湾」に改称する「台湾正名運動」が盛上りを見せ、台北市内で3万人のデモに発展するなど、状況が大き く変ってきた(同運動は、来年の5月11日に台北市で10万人デモを行うと発表している)。このような状況変化の背景として、2001年にブッシュ政権が 発足したことも大きい。台湾について言わずもがなの「3つのNO」をリップ・サービスして歩いたクリントン大統領が退場し、新登場したブッシュ大統領は 「台湾人との約束を守る」と言明して、「台湾関係法」を再確認したのであった。

 こうした状況を踏まえて、国民世論の盛上りに応えるべく、陳総統は「一辺一国」のスローガンを掲げて、改めて李前総統の「二国論」を確認したのである。

 法的には同じ内容でも、政治的にはこれは「二国論」よりだいぶ進んでいる。「二国論」は「特殊な国と国の関係」という内包をもち、どちらかという と学説風のご大層な語感を人に与えるが、「一辺一国」という表現は台湾語としてきわめて口語調(コロクイアル)で、まことに語呂がいい。簡明直截な大衆的 な話し言葉で、解説の必要もなく台湾のアイデンティティ問題を直感的に訴える力がある。

 (3)の住民投票論が台湾首脳の口から出たのは、今回をもって嚆矢(こうし)とする。しかし、これは台湾ではすでにポピュラーな議論で、現にこの私も 5月9日に銀座のガスホールで開かれたシンポジウムで同趣旨の発言をし(産経新聞5月20日付)、また5月19日には台北での講演会で、住民投票のベス ト・タイミングは2006年だと提言している(自由時報5月20日付)

 今回の一連の陳発言に対して中国は、「少数の台湾独立分子の陰謀を台湾人民に強要している」と、陳総統一人に非難を集中させ、その孤立化を計っている。これは大きな見当違いで、このような小細工が効果を上げることはあるまい。

 実のところ台湾問題とは単純なことなのだ。2300万人の台湾住民の過半数がウンと言いさえすれば、「統一」など明日にでも実現する。何人といえ ど何国といえど、これを阻止する根拠も権利も持たないのだ。ところが、中国は肝腎のそのウンと言わせることが終始できないでいる。脅しても、すかしても、 はたまたミサイルをぶち込んでも、台湾人は首を縦に振らない。今度の陳発言についても、中国寄りといわれる台湾のテレビ局の調査でさえ、「一辺一国」に賛 成54%・反対29%、住民投票に賛成62%・反対29%の結果となっているのだ。

 いま中国がなすべきは、小細工を弄したり武力威嚇に出たりすることではなく、台湾人がなぜウンと言わないかを謙虚に考えてみることだ。「匹夫も志を奪う可からず」とは、かの国の聖賢の教えではなかっただろうか?

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