ポスト台湾総統選余聞 (2004年07月号)

 
 2月 前の3月20日、台北で陳水扁候補に一票を投じた私は、翌21日にはもう東京にもどって、本誌に原稿を書いた。銃撃事件まで起きた現地の緊迫した空気を、 いち早く伝えたかったからだ。あれからちょうど2ヶ月たったが、私はまったく同じ行動を再演することになった。昨日の5月20日、私は台北にいて陳総統の 就任式に参加したが、今日はもう資料をいっぱい抱えて東京に飛んでかえり、早速本稿に取りかかっているというわけである。それもこれもすべてわが愛する台 湾の為とはいうものの古希の身にはいささか応える。

 就任式は総統府前の広場で行なわれたが、カタゴラン大通りを隔てて向かい合っている国民党中央党部ビル前では、黒装束に黒頭巾という異様な風体の男たち が、さまざまな呪詛の文句を書き並べた黒いゴム風船を式場に向けて飛ばして、いやがらせをしていた。風船の1つには「窃国」の文字が見える。陳水扁が国を 盗んだというのだ。選挙に負けて政権を失なうことを国が盗まれたと思う感覚は、これまで彼らがどれほど国家を私物化してきたかを示す一つの例証となりうる ものであろう。畢竟、民主主義などとは無縁の輩なのである。

 彼らが手に持つ小旗に、「陳水扁はヒットラー顔負けの独裁者」と書いてあるのを見て、私は呆れるあまり笑い出してしまった。二・二八事件以来李登輝民主 化までの約40年間、何万とも知れぬ"政治犯"を逮捕・投獄・処刑してきたのは、他ならぬ歴代の国民党政権であった。皮肉なことに、彼らが蛇蝎の如く憎ん でやまない陳水扁総統と呂秀蓮副総統は2人とも、この「白色テロ」の時代に迫害され投獄された"政治犯"に他ならないのだ。この同じ時代私自身も帰国を禁 止され、31年間ものあいだ、日本に政治亡命せざるを得なかった。そしてこれら"政治犯"を全員釈放して、「政治犯」なる忌むべき名称を歴史博物館の棚の 上に封じ込めてしまったのは李登輝氏であり、また「台湾のアウシュビッツ」ともいうべき流刑の島「火燒島」の監獄を撤去し、この島を「緑島」と改称して観 光地として再生させたのは他ならぬ陳水扁総統その人なのである。だから、「ヒットラー云々」の話はまったくのアベコベ、正に噴飯物というしかない。

 さて、当日の陳総統の就任演説は、かねてから国際的にもいろいろと注目(懸念?)されていたところであるが、当日私が直接聞いた感想を一言でいうと、あ れは「八方美人的配慮で考え抜かれた苦心の作文」というところである。あれなら、総統最大の味方である独立派を除けば、中国を含めてどちら様からもあまり 文句は出まい。そしてその独立派(私もその1人だが)はといえば、「独立は言わない」とする陳演説に大いに不満ながらも、陳支持を決して止めようとはしな いであろう。こんな奇妙な状況が出現するのも、全世界が寄ってたかって陳総統に猿ぐつわをかませ、彼が台湾の民意を代弁する口を封じていることを皆が知っ ているからだ。

 東京にもどってきて、陳演説に対する各紙の論評を見ると、いずれも台湾海峡における平和と話合いの重要性を説き、陳演説の自制的な姿勢を評価するといっ た論調となっている。アメリカから聞こえてくる反応も似たりよったりのものだ。しかし実際のところ、日米のこうした論調ほど空々しく響くものはない。中国 は現実に500基のミサイルの照準を台湾に合わせ、武力行使を辞さないことを再三再四言明している。台湾海峡における"平和的話合い"はまずミサイル撤去 からと、陳総統が撤去要求の賛否を公民投票で問おうとしたら、中国の意を受けて投票停止の圧力をかけてきたのが日米仏の3国だったことを台湾人はよく覚え ている。台湾海峡における平和的話合いをだれより望んでいるのは台湾人なのであるが、中国はいわばその頭にピストルを突き付けて「オレの言うことを聴け」 というばかり。台湾人が「まず先にピストルを降ろせ」と言おうとすると、日米仏3国があわててその口を押え、「相手が怒るからそれはやめとけ。あくまで平 和的に...」という。三流の茶番劇でなくて何であろう。

 そんな中で、台北での就任式には石原慎太郎氏、平沼赳夫氏などが、そして東京の祝賀会には安倍晋三氏などの政界樞要が駆け付けて、人間としての真の道理と勇気を示して下さったことは、私や多数の台湾人にとって何よりの救いであった。
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