SARSにおける中国の杜撰な対応 (2003年06月号)

 

 5年前、「『大中華帝国』は地球の"疫病神"」というタイトルで深田祐介さんと対談したことがある(月間『諸君!』1998年1月号)。そこで「疫病 神」といったのはもちろん比喩的な表現で、中国が朝鮮半島や日本を悩ます黄沙や酸性雨の発生源であり、国際的な偽ブランドの製造元であり、また世界各国に 密航者を"輸出"して犯罪の種を蒔くなど、人に忌み嫌われている状況をこのような言葉を使って表現したわけである。

 それが今日、言葉本来の意味で、中国は文字通り「疫病神」となった。SARSなる謎の病気を世に広めた忌むべき根源として、名実共に「疫病神」となったのである。

 「名実共に疫病神」というのは、一つは物理的な意味で中国がこの伝染病の病源地であるということである。もっともそれ自体は不運というべきで、取りたてて非難することではあるまい。

 しかし「疫病神」にはもう一つ、「災難をもたらすとして忌み嫌われる人」という比喩的な意味がある。この意味では、中国は資格十二分の「疫病神」である。以下の3点を見よう。

 第1に、初期のSARS感染例は昨年11月から見られたのに、中国当局はずっとこれをかくして、WHO(世界保健機構)に報告しなかった。3月初 旬になって香港が感染症例を公表し危険を訴えた後も、広東省や上海市はむしろ安全宣言を出して、経済的損失の回避につとめた。この中国お家芸の隠蔽体質が 初期対応措置を遅らせ、感染の拡大をもたらしたのはWHOが指摘するところである。中国語の「死要銭(死んでも金が欲しい)」という表現を地で行ったよう なものだ。自分たちはそれでよくてもこれで死んだ外国人は浮かばれまい。

 第2に、数字捏造の問題がある。WHOの視察が入った後の4月20日、北京市当局は発症者数が346人と、従来の発表値の8倍余であったことを "白状"した。北京には日本の援助でできた日中友好病院という1300床の大病院があるが、ここに入院していた31人のSARS患者は、WHOの視察中バ スで外に連れ出され、視察が終わるまで市内をぐるぐる引き回されたと、米週刊誌タイムは報じている。何しろ、かつて遅浩田という軍部の親分がアメリカに 行って、「天安門では1人も死ななかった」としゃあしゃあと言明した事例もあるのだから、8倍程度の誤差で驚くようではこの国はとうてい理解できまい。私 は北京市の"白状"よりだいぶ前から、「上海の患者数2人はおかしい」と怪しんでいたが、最近になってWHOも同じことに気付いたのは大いに結構である。

 第3点は日本人にはあまり知られていないが、中国は多年来台湾のWHO加盟を阻害してきた。これは「種族・宗教・政治信条・経済または社会の状況 如何にかかわらず、可能な限り最高水準の健康を享受することはすべての人間の基本的権利である」とするWHO憲章に明らかに違反するが、中国は強国の横暴 さで横車を押し通してきた。

 非加盟国であるため、台湾はこれまで数々の被害を受けてきた。例えば、1997年、台湾はWHOから腸内ウィルスに関する防疫情報が得られず、 80数名の感染児童を救うことができなかった。今度のSARSの場合も、台湾は3月14日の時点で、いち早く感染状況を報告したのに、WHOの専門家の支 援を受けることはできなかったのである。

 このように、中国は台湾を国際的な医療保険機関から隔絶されたアパルトヘイト状態に閉じ込めて、外から救援の手が届かぬようにしているのだ。

 江戸時代の日本の農村には、特定の村民との交際や取引を村全体で断ち切る形の制裁習俗があった。ただし、火災と葬式のように人命に関わる2つの場 合は例外として協力した。「村八分」という言葉の由来である。また湾岸戦争後、イラクに対する経済制裁として石油輸出を禁止したが、医薬品と食糧を購入す る場合だけは例外として認めた。「村八分」と同じで、たとえケンカはしていても、人命優先の原理はきちんと守るという精神である。

 それと比べると、台湾のWHO加盟を6度にわたって妨害した中国のやり方は、正に「疫病神」の名に相応しい陰湿さと前近代性に満ちている。しか し、今回のように世界的な疫病パニックが起きるのを待たなければ、それがなかなか一般に理解されない。まことに残念なことである。

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