不可解な支持率 (2001年07月号)

 

 小泉内閣が発足して、約1ヶ月が経過した。発足当初から新内閣の支持率は80%を超え、「永田町の変人(変革の人)」小泉純一郎氏は、連日連夜メディア を大きく賑わせている。人気の田中眞紀子氏を外務大臣に起用し、女性閣僚を5人登用するなど、小泉内閣は国民世論を一気に見方につけた格好となった。

 それにしても、森内閣の支持率が一桁台だったことを思うと、10倍増した高支持率は、かなり異常である。先月、私は小泉内閣誕生は民意の勝利であると書 いたが、余りに極端な世論の動きは、時にオール・オア・ナッシング、白か黒か、といった極端に走り過ぎる日本人のメンタリティを如実に示して滑稽である。

 20世紀の100年間を、日本人は前半と後半とまるで異なる価値観で生きてきた。1945年までは、ひたすら富国強兵に向かい、無謀な大戦に飛び込み、 後半は観念的な平和論を唱え、反省と自虐の態度に終始した。戦前は悪で戦後は善という考え方は、実に極端でアンバランスなものだ。戦後日本は戦争を否定し ただけでなく、自分の国さえも否定することが良いというような、おかしな言論がまかり通ってしまう風潮を生み出した。そうした風潮は、日本が古くから培っ てきた数々の美風や価値観を衰退させ、消滅させた。そのような考え方は、余りにも一方的で、バランスに欠け、有害無益である。物事は常に多面的であり、見 る角度によって違って見えてくる。その多様性の中で何が真で何が虚なのか、しっかり洞察することに努めたい。

 マスコミの報道が好意的であるかどうか、その報道如何によって、風の流れが決まり、支持率は一桁から90%近くにまで、簡単に上昇したり下降した りするのは、気分に左右されやすい大衆の危うさを物語っている。戦後55年、主権在民の民主化教育を半世紀以上も受けている国民にしては少々お粗末ではな かろうか。

 田中眞紀子外相も、マスコミの追い風を受けて、その人気は並々ならぬものがある。しかし、ここのところ外相の言動に、不安を感じている人は多い。 外交を知る者ほどその不安は大きい。外務省の体質改善に対する人々の期待は確かに高い。しかし大切なのは、日本の国益を最優先にした外交なのである。氏の 外交手腕が問われるのはこれからなのだ。イメージ先行の人気は、ある日突然反転し急落しかねない。先例は多々ある。冷静に、長い目で観察して初めて真価が わかるものである。

 私は個人的に、小泉純一郎氏の人柄、国を愛する熱い心、改革に対する信念の強さなど、総合的な政治家としての魅力を高く評価している。と同時に、 森首相の一年間の実績や外交姿勢も、それ相応に評価されるべきものだったと思っている。マスコミに付和雷同し、国を挙げて猫も杓子も森首相への悪口雑言 は、聞くに堪えなかった。支持率の余りの低さに義憤を感じたものである。

 4月21日、私は新宿御苑における内閣主催の桜を見る会に出席した。御苑に面した自宅のベランダから桜を鑑賞しているので、招待を受けた当初は行 くつもりはなかった。4月20日、森首相の決断により、李登輝前台湾総統へビザの発給が決定されたニュースに、何としてでも首相に直接一言お礼を言いたい と考え、急遽出席を決めたのである。

 当日桜を見る会は、多くの人でごった返しており、森首相のところへ近づくのは至難の業だった。私は懸命に人をかき分けたのだが、警備の人に押し返 されてしまう。思わずそのSPに「一言お礼を言いたいのよ」と言うと、何とそのSPはすぐに私の欲するところを分かってくれ、道をあけてくれた。

 こうして私は、森首相に「台湾の金美齢です。李登輝さんのビザ有難うございました」と大声で礼を述べることができた。首相は、満面の笑みで「テレ ビで見てますよ」と手をさし出した。とっさの出会いなのに、サービス精神旺盛な方である。群集にもみくちゃにされている森さんを見て、改めて支持率とは何 だろうと考え込んでしまった。支持率は、単なる人気投票として、白か黒かで決めるべきではない。多角的視野から総合点をつけ、客観的な成績表でなければな らない。

 この度の支持率の乱高下は無責任で軽佻浮薄なマスコミや回答者の実態を余す所なく示したものである。何度こんなことを繰り返すのだろうか。

ページトップへ