これでは『国際交流』が泣く (2002年05月号)

 

 この十数年、私はある日本語学校の創立と運営にかかわってきた。定員150人の小さな学校だが、れっきとした東京都の学校法人で、大学入学のための準備教育課程を備えた数少ない文部省の指定校だ。

 外国人留学生に対する日本語教育に、私は大きな熱情を傾けている。当今「国際交流」のお題目が世の中に氾濫しているが、その実態は日本が諸外国の 文化を一方的に受信することで、日本文化を対外的に送信する部分は極めて少ない。これでは「交流」ではなくて「直流」だ。そんな状況の中で日本語学校は日 本文化の送信に真向から取組んでいる数少ない機構である。その存在意義はもっと重要視されてよい。

 私の学校では留学生の日本語習得だけでなく、日本文化への理解を深めることも教育目標としている。その一環として必ず学生に防災訓練を受けさせ る。もとより学生の安全を願って消防庁の要望に応えたものであるが、地震国日本での木造家屋での生活は、多くの留学生にとっては正に異文化体験であるか ら、この訓練はその意味でも教育的であり、毎年学生にも評判がよい。

 今年も2月1日、予め申込んだ上で、3人の教師が約30名の留学生を引率して、都内に3ヵ所ある防災館の一つを訪れた。ここでは人工呼吸・消火訓 練・地震体験・避難訓練の4通りの訓練プログラムが周到に組まれているが、学校では例年どおりその全部を予約しておいた。学生が興味をもつのである。

 ところが、いつもなら馴染みの女性インストラクターが親切に指導してくれるところだが、今年は年配の男性が一人いて、その人の態度がまことに感心できなかったという。最初からいきなり、 「何で訓練したいのか。訓練をして何の意味があるのか。ビデオを見るだけじゃだめなのか。キミたち一体日本語が分かるのか」と、いかにも面倒だと言わんばかりの口調だったという。引率の教師は思わず、「もう結構です。帰ります」と口から出かかったほどだったという。

 訓練の指導中も学生に接する態度が終始威圧的で、暴力的な言葉はもちろん、強引に手を引っぱったりもしたという。日本語初級の学生たちにとって、よく分からない言葉で怒鳴られるのはとても恐かったと思われる。

 教師の一人は少し小柄の若い女性であったが、その男性は彼女の頭をなでて、「先生、可愛いね」とやったので、学生(その多くは女子)のあいだから「セクハラ」の声がささやかれたほどだった。訓練終了後、学生たちは口々に不快感を訴えた。

 そこで教師たちは防災館の責任者に面会を求めて状況を説明し、「日本語学校は防災訓練に来てはダメなのか」と質問した。責任者は詫びの言葉を述べ、「事実確認後、再度ご連絡します」と答えた。

 ここまでが、私が教師から報告を受けた部分である。たぶんその男性は消防のOBで、防災館は定年後の仕事なのかもしれない、と私は想像した。災害 救援の修羅場の数々をくぐり抜けてきたベテランかも。だから学生を前にして、「何で俺がこんなつまらん事を」とやる気が出なかったのだろうか?

 防災館からは結局ナシのつぶてであった。3月に入って私が都に問い合わせたところ、消防庁は都とは独立の機構だとのこと。しかし、消防庁の方に話 をつないでくれた。と言うのは、私がたまたま都の地域国際化推進検討委員会の副委員長をやっていて、その見地から意見を具申したいと主張したからだ。この ようにして、私はやっと防災館の館長から直接説明を受けることができた次第である。想像どおり問題の人は消防のOBだった。尊敬される立派な職業を勤めあ げた人だ。定年後の新しい仕事の意義をもっと理解して、新たな気持ちで頑張って欲しいものである。

 それにつけても、お役所の対応というのはどうしてこうも型通り「お役所的」なのだろうか?先日拉致事件がクローズアップされた有本惠子さんのご両 親は、それまで外務省を何度たずねても担当者に会ってもらえなかったという。もし誰かが口をきかなければ動かないのが日本のお役所の体質なら、鈴木宗男議 員があれほど幅を利かせた訳も分かるような気がする。
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