会ったことがないのに麻生首相に親近感 (2009年05月号)

 

 3月24日、東京地検特捜部は、西松建設の政治献金をめぐる事件で、民主党の小沢代表の秘書が西松建設からの違法な企業献金だと知りながら収支報告書にうその記載をしたとして、政治資金規正法違反の罪で起訴した。3月3日の逮捕以来、政局は凪(なぎ)状態になっていたが、公設第一秘書が起訴された以上、なんらかの展開があってしかるべきである。

 かねてから麻生太郎首相と小沢代表の人柄を対照的だと思っていたが、一言で表すと明と暗。首相の地元は筑豊地方であるが、ご本人は多くの時間を東京で過ごしていて、本質的には江戸っ子である。メディアで何かと話題にされるのも、その江戸っ子特有の率直さと庶民性に依る。一方で九州男児の気骨も伺われ、人間的な魅力に溢れる。首相として、その自由奔放さが、時には批判の対象になるのが問題なのだ。

 小沢代表は岩手県人。自らを口下手と称しているが、実は非常に用心深い。「側近さえも信じていない」と言う人もいる。嘗(かつ)て寵を得ていた人が、次第に遠ざかっていくのをみて、「どうして?」と聞いたら「疲れるんですよ。本当に疲れる」と答えが返ってきた。その一言が全てを象徴している。

 代表とはまだ面識もなかったころ、新潮だったか、文春だったか、週刊誌に取材されたことがある。代表の訪中に必ず身元不詳の随行員がいる。台湾出身の日本語学校経営者だそうだが、何のために連れて行くのか、一体どういう人物なのか、ご存じですかと聞かれた。週刊誌らしい着眼だが、結局、何も明かされず、要領を得ない記事に終わった。当時、その人のことは何も知らなかったが、後に、直接相対する機会があった。台湾の陳水扁前総統が、総統選を控えて訪日したときの事だから、十年前の話である。当時、通訳から引退してる旨を徹底させていたが、これだけは重要だからと無理やり頼まれて、でかけたのが陳・小沢会談だった。小沢党首の傍には年配の男性が坐っていたが、紹介は一切なかった。陳水扁が先ず通り一辺の挨拶を始め、紋切型の一般情勢を長々と話したので、通訳は少々はしょった。その時である、その得体の知れぬ男が初めて口を開いた。省いた所を丁寧に付け加えたのである。なるほど、この人があの正体不明の随行員だったのだ。小沢党首は中国側の通訳も、日本政府の通訳にも心を許していない。あくまでも風聞だが、彼は台湾からの留学時代、慶応大学で党首と同窓だという。それにしてもこの用心深さ、政治家として天晴れだ。でれでれとハニー・トラップに嵌まったり、利権供与を受けて、完全に中国の術中に陥っている親中派に、爪の垢でも煎じて飲ませてやりたいと思ったものだ。

 陳水扁の「この会談は対外的に発表しても良いでしょうか」の質問に、「わざわざ発表することはないが、洩れたら洩れたで仕方ない」と答えた。「政治家はかくあるべし」と思った瞬間だった。

 その後、自由党の勉強会に講師として呼ばれ、それなりにシンパであった。党首の「愚直でありたい」という言葉に感動もした。愚直とほど遠い性格の持主として、その美徳がいかに大切であるか、日常的に反省もしているからである。我儘で、拙速で、短気な私は、常に愚直に敬意を表している。アーサ王伝説の騎士物語でも最後に「聖杯」を手に入れるのは「愚直な人」なのだ。

 先月号でもふれたが、日本台湾医師連合会設立記念の初代講師は小沢党首にお願いした。その時の厳しさは格別だった。会の趣旨説明から構成員の明細まで要求され、更に事前の広報は不可、一般人の参加も不可と規制された。これでは日台交流の目的は達せられないのだが、講師の要求は絶対である。その後政治家を含め、多くの方に講演を頂いたが、後にも先にも、こんな厳しい条件を突き付けられた経験はない。

 これだけ用心深い小沢代表の身辺で「金」の噂が絶えない。法を熟知していて幾重にもセーフティネットを巡らすのだろうが、「紙保不住火」(紙で火を囲い込むことはできない)という中国語がある。金の動きは痕跡が残るのであろう。

 小沢代表には人間的な親近感を覚えずじまいでいる。人間が好きでもなく、愚直でもなかったとしか思えない。会ったこともないのに、麻生首相にはなんとなく親近感を覚える。私も江戸っ子のようだと、言われているからだろうか。

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