遣り場の無い憤りを一票に託した台湾総統選挙 (2004年05月号) |
昨日の3月20日は台湾の総統選挙で陳水扁・呂秀蓮のコンビに一票を投じたばかりだが、今日はもう東京にもどってきてこの原稿を書いている。
かの「プルターク英雄伝」によれば、ポントスの戦役のため小アジアに遠征した古代ローマの執政官シーザーは、ローマの友人に戦況を知らせるのに、 ただ「来た、見た、勝った」の3語を書き送ったといわれる。これはラテン語では"Veni , vidi , vici"と書かれ、同一音節数、同一母音の語尾をもつ3語から構成される簡潔この上もない文章となる。これによって、戦闘の激烈さと勝利の迅速完璧さが 見事に表現されているのだという。
今度の総統選挙について私もまた簡潔に、そして堂々と「来た、見た、勝った」と書きたいところであるが、私の心の中には色々な屈折と怒りが蟠っていて、手放しで勝利の美酒に酔う気にはなれない。
4年前の総統選における陳水扁、宋楚瑜、連戦の得票率はそれぞれ39.3%・36.8%・23.1%であった。それが今度の選挙では連と宋が正・副総統 候補者としてコンビを組んだので、陳・呂の台湾独立陣営と連・宋の中国統一陣営の支持率の比は、単純計算でほぼ40%対60%となる。統一陣営はすっかり 安心しきっていた。しかしこの絶望的な懸隔を台湾人はほぼ1年間で埋め、選挙直前にはその差3%くらいにまで追いついていた。独立派は後難を恐れて世論調 査に正直に答えない傾向があるので(香港民主派の有名な評論家ウィリー・ラム氏によると、中共政府は李登輝、陳水扁、呂秀蓮などの逮捕も検討しているとい う『サピオ3/24号』)、この時点で私は勝つかもしれないと初めて思った。蓋を開けてみれば独立陣営は全25選挙区のすべてにおいて前回より大幅に得票 率を伸ばし、最終的には統一陣営に0.228%の僅差をつけて辛勝した(この0.228%の数字に二.二八事件を連想し、何らかの天意を感じる人もい る)。
与党である民進党は当初、「中国を刺激するのは不味いから」という、どこかの国でもよく聞かれる理由で、台湾人意識を表に出すことを極力避けてき たが、それが絶望的な支持率差の根源となっていた。しかし終盤になってこの奇跡的ともいえる逆転劇の原動力となったのは、李登輝氏の呼びかけによる「正名 運動」や「人間の鎖運動」などを通じて高揚した台湾ナショナリズムである。南北約500キロの道程を、220万の人々が手をつないで「台湾を護ろう」と一 斉に声を上げたとき、李氏は「生涯最大の感動」と涙した。李氏のアピールにかくも真剣に応じたわが同胞に、私は大きな誇りを感じる。
3月19日、正に投票日の直前になって、私たちの正・副総統候補が台南市内を遊説中に撃たれたとの報道が全島を震撼させた。詳細を知りたいと私が 駆けつけたとき、選挙対策本部前は優に1万人は越える黒山ができていた。私は心配した。人々が殺気立っていたからだ。もし独立支持の民衆が統一派の候補者 に報復の襲撃を加えるような事態が発生すれば、こちらも低次元の"おあいこ"となる。何とか皆の気持ちを鎮めなければ、と私は思案に暮れた。
そのとき、壇上に1人の人影が立って沈着冷静な声で人々に呼びかけた。
「皆さん、一緒に神に祈りましょう。私たちの総統と副総統の負傷が大事に至らぬことと、私たち台湾人がこの試練を冷静に乗り越えられるよう、真の 勇気と力を神が与え賜わんことを・・・。皆さん静かに家路について下さい。そしてご近所の人々に、今晩ここで私たちがした祈りをぜひ伝えて下さい」
すると奇跡が起きた。地面に坐りこんでいた民衆は静かに立上がり、シュプレヒコール一つ発することなく、黙って解散したのである。
演説したのは、弁護士で敬虔なクリスチャンとして知られる民進党元主席の林義雄であった。1980年、政治犯として収監されていた彼の留守宅に何 者かが侵入、老母と2人の娘を殺害し、もう1人の娘に重傷を負わせた。これが2月28日の出来事であったことで、誰がやったかは皆がすぐ察したのであっ た。国民党白色テロの悲惨を林氏ほど残酷に嘗めた者はいない。その彼が寛容を説いたからこそ民衆は黙って従ったのであった。
翌日、陳・呂コンビは僅差で勝った。東京にもどって日本の各紙を調べたら、「銃撃同情票で逆転」などと出ていた。あれは「同情」などではない。人々は遣り場のない憤りを一票に托したのである。