台北の雰囲気 (2002年04月号)

 

 昨日2月24日、3泊4日の慌しい台湾旅行から帰ってきたばかりだが、記憶の鮮明なうちに最近の台北の街や人々の表情を記しておきたい。

 2月21日正午少し前、台北空港の到着口を一歩外に出た途端、カメラの放列に驚かされた。その後に手に手に旗を持った少女たちの一団がひしめいて いる。「まさか、そんな訳はない」、と私は首を振った。一年程前、小林よしのり氏の「台湾論」が大センセーションを巻き起こしていたころ、私もカメラマン に追いかけられたこともあったが、今はそんな訳はないのだ。

 「金さん、お帰りなさい」

 顔見知りのカメラマンが何人か飛び出してきて、私の前でシャッターを切った。空港での騒ぎは、日本から来る"TOKIO"の一行(どんな歌手たち なのか私は知らないが)を待機する歓迎陣だそうである。私は事のついでに写真を取られたわけだが、翌日の朝刊に1000円札2枚分くらいの大きさでデカデ カと載せられたのには魂消てしてしまった。キャプションは、「金美齡、李登輝との座談会のため帰国」となっている。その日は、よっぽどニュースがなかった のであろう。

 空港からホテルに向かう途中立ち寄ったレストランで、日本人のジャーナリストと落ち合って、李登輝時代についての著作(李登輝執政告白録)で邦訳出版についての打ち合わせをする。

 午後少し遅くホテルに到着すると、当日夜の討論番組への出演依頼が届いていた。そういえば空港にはテレビ局からも人が来ていたのだ。討論のテーマ は、私が想像したとおり、19日日本の国会と21日北京でなされた「米国は台湾の人々との約束を忘れない」とのブッシュ米国大統領の発言についてであっ た。この東京発言について私は新聞に出ている程度にしか知らないのだが、東京から来たばかりということで何か特別な情報を期待されたのかもしれない。この ブッシュ発言については、私が直接会った限り全ての人は両手をあげて大歓迎していた。マスコミの中には少数ながら冷水を浴びせるような発言もないではな かったが、これはいつもの定番で、何事につけ台湾が米国や日本と仲良くなるのは全て気にいらないという偏執狂的な人たちというのが台湾にもいるのだ。一般 の感覚からは全く浮き上がっているのだが・・・。

 翌22日、「第10回台北国際書籍展示会」に出かける。今年のテーマは「日本年」なので、日本からの出展が特別に目立つ。曽野綾子さんや柳美里さ んも来台しているとかで、会場には曽野さんの大きな写真が飾られているのが目につく。それからこのジャンルは私はまことに疎いのだが、日本の漫画が大人気 で、池上遼一さんとか貞本義行さんなどという人のブースの前は、サインを求める人が長蛇の列を作っていた。私の著書の翻訳も台湾で出ているので、私もサイ ン会の真似事のようなことをした。漫画家の盛況にはとても適わないが、それなりにファンが集まってくれた。この展示会は入場有料であったが、6万人余りの 人々が詰掛ける盛会となった。

 23日午後、この展示会にともなって東京財団が主催する、「心に残るこの一冊」と題する座談会に参加する。前東京外国語大学学長中島嶺雄氏が司会 を兼ねてモーパッサン著「水の上」、李登輝前台湾総統がトーマス・カーライル著「衣裳哲学」、東京財団日下公人理事長がヴェルナー・ゾンバルト著「恋愛と 贅沢と資本主義」、金美齢が小林よしのり著「台湾論」をそれぞれ語った。詳細を語る紙幅がないが、定数750席の台北国際会議センターは完全な満員とな り、補助椅子を並べてもまだ立ち見をする人がいっぱい出るほどであった。この座談会は全て日本語で行われたが、これに文句を付けそうな「定番」のマスコミ を予想して、私は座談会中にわざとこれに触れた。

 「台湾は言論自由の国です。ここは国際会議場です。ゲスト・スピーカーのお二人は日本人で、聴衆の中にも多数日本人がいます。この状況で日本語を 用いるのが一番自然ではないでしょうか。日本語を解しない聴衆の為には中国語の同時通訳を用意しています。もしこれに文句を付ける向きがありましたら、英 語やフランス語ならよくてなぜ日本語がダメなのか、説得力のある理由を聞きたいものです」

 これに対して、会場からは拍手さえ聞こえたのであった。

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