事なかれ平和主義-泣き寝入り症候群 (2002年06月号) |
月刊誌「正論」の5月号に、「殴られても土下座しても耐えたのは」というタイトルで、凄まじい記事が出ている。同誌の「外務省官僚覆面座談会」なる企画で生々しく語られた内輪話の実録だ。
「土下座外交」などと、最近の日本の外交姿勢が揶揄されるのはよくあることだ。もちろん比喩的に言っているわけである。ところが、この雑誌に出て いるのはなんと、日本のエリート官僚が文字どおり(物理的に)土下座したという話なのだから驚きである。それも外務省と大蔵省の課長クラスが総勢5人、そ れぞれ一発ずつ殴られた上、全員土下座したところを足蹴にされたというではないか。おまけにうち2人は、翌日また同一人物から殴られたのだそうである。
これは明治時代の話ではない。旧陸軍内務班での出来事でもない。1998年10月、御存知鈴木宗男議員の事務所内で、ある案件の書類を持って訪れ た5人に対して、鈴木議員が「なんで文書にする前にオレのところに説明に来ないんだ!」と烈火のごとく怒ったあげく、この暴行に及んだのだという。因みに 土下座した5人のうち4人が東大、一人がY国立大の出身だということである。
最近これほど驚いた記事を読んだことがない。私は日本に居住すること43年、日本のことなら大抵のことは知っているつもりでいたが、こんなことが本当にあろうとは!私にとってちょっとした文化的ショックであった。
私が驚いたのは、国会議員ともあろう者がこんな低次元の暴力をふるったなどということではない。そんなことに今さら驚いてみせる「ぶりっ子」趣味 は私にはない。「乱闘国会」などこれまで何度も見ている。それに第一、私の国台湾はある時期そちらの面で近隣に名を轟かせていたのだから、人様の国の国会 議員の質について私がとやかく言えるわけがない。
日本の中央官庁のキャリア官僚が、それも5人もの人間が雁首をそろえて、一個人の理不尽な暴圧にひたすらひれ伏すだけで、やられ放題だったとは!世に謂う「国を背負うエリート」とか「未来のホープ」とは、所詮この程度の人物だったとは!これこそ本当の驚きである。
殴られても足蹴にされてもじっと耐えたのは、法案を通したかったからだそうだ。彼らはそれが国の為だと思ったのかもしれないが、それは間違ってい ると私は思う。土下座をすることを断固拒否し、殴打や足蹴(これは明らかに刑事事件だ)に対しては法的手段に訴えてでも人間としての尊厳を守り、理非曲直 を正してこそ、国の未来を托するに足る真のエリートであろう。彼らが毅然としてそのような気骨を見せてこそ、国民も官僚を信頼するというものであろう。そ れが国の為なのだ!
昔の話を一つしよう。1973年、イギリスは大清帝国と貿易制度の改善を交渉するため、国王の使節としてマカートニー伯爵(Earl George Macartney)を北京に派遣した。何しろ当時の清国の版図(皇清職貢図)ではイギリス(そしてオランダ)は清の属国となっていたわけであるから、清 の皇帝は伯爵に対して「三跪九叩」の礼を要求した。これは臣下が皇帝に対してする礼で、3回跪いて9回頭を地面に打ちつけるというものである。伯爵はこれ を拒否したため、交渉は不首尾に終った。そもそも清国にとって貿易とは「天下に君臨する中国皇帝が蛮夷に垂れる恩恵」とするものだから、もともと交渉の余 地などなかったのである。
帰国後伯爵は、「私は妻に対して以外はだれにも跪(ひざまず)いたりしない」と語ったと伝えられるが、これは後人の作り話かもしれない。ともあ れ、彼の人間としてのプライドがイギリスと国王の名誉を救ったのである。さもなければ、イギリスは中国の朝貢国を自認するところだったのだ。
「習い、性となる」というが、いつも土下座をしたり、理不尽を甘受することに慣らされた人間は、知らず知らずのうちに卑小な事大主義者になる。昨 今の日本では、当然怒るべきときにも怒ることを知らない人がどんどん殖えているように感じる。「事なかれ平和主義」「泣き寝入り症候群」の蔓延で、人間と してのプライド、民族としての気概が次第に蝕まれている。国の骨幹を構成するエリート官僚まであの体たらくであるなら、この病気は文字どおり「骨がらみ」 の状態になっているのだろうか。