スタンド・バイ・ユナイテッドステイツ (2001年11月号) |
米中枢同時テロへの対応を協議する日米首脳会談のため訪米した小泉首相は、ワシントンDCに赴く前に二ューヨークを訪れた。世界貿易センター一帯の被害 状況を視察した後、首相は原稿を読まず英語で記者会見をした。その中で彼は、「スタンド・バイ・ユナイテッド・ステイツ」と言い切った。
私は首相の英語が立派なことに驚いた。発音も良いし、普段英単語をもてあそばないだけに、こういう場面での心のこもった一言一言が、聞く者の心に直接届くのである。
テロ発生後ブッシュ大統領は、アメリカ側につくのか、敵につくのか、二者択一を同盟国をはじめ各国に突きつけている。此の際、50年もの長きに 亙って安保条約を締結している国として、日本は第三の道を選択する立場にはない。ならば毅然と、アメリカ側に立つと声明するのが、日本のリーダーとしてと る道である。逡巡している場合ではない。
さらに「スタンド・バイ・ユナイテッド・ステイツ」という表現に、首相の思いを垣間見た気がした。ある国なり組織なり個人なりが、危機に面したと き、先ずは、誰が味方で誰が敵なのか見定める。孤立して戦うのか、または仲間とともに戦うのか、それは大きな違いである。真の友であるかどうか、ギリギリ の選択を迫られたときに見えてくる。Friend in need is friend indeed という諺はつねに真実である。今アメリカは、「スタンド・バイ・ミー」という呼びかけと同時に、真の友は誰なのか、と見極めているのであ る。
誰が敵で、誰が味方なのか、つきつめて考えるとき、私はかなり前に見たアメリカ映画「Stand by me」を、その懐かしいテーマソングとともに思い出す。小泉首相も英語で語った時、あのメロディーを思い出したのではないだろうか。映画好きの首相なら、 「スタンド・バイ・ミー」というこの言葉の持つ連帯のメッセージを、子どもたちの友情の物語と共に思い出したとしても不思議ではない。
テロ発生翌朝の9月12日、テレビ朝日のスーパーモーニングに出演した私は、その場で初めて「突入」の光景を見た。司会者に「どう思いますか」と聞かれた とき、私はとっさに「これはテロのレベルを越えた行為であり、戦争としかいいようがない。宣戦布告のない、しかも相手のわからない新しい形の戦争である」 と言った。おそらく、「これは戦争である」と日本の公のメディアで喝破したのは私が最初ではなかろうか。
さらに、「今まで安保問題に関して、日本は常に朝鮮半島や台湾海峡を意識しているが、これで全く新しい局面、アメリカ本土が敵に攻撃されたとき日本はどうするのか、という考えてもみなかった問題を突きつけられるのではないか」と続けた。
その後、同じ日のアメリカ時間午前10時50分、ブッシュ大統領は「これは単なるテロを越えた戦争行為だ」とはじめて正式に「WAR」という言葉 を使った。12日のワシントンポストの見出しも「これは犯罪ではない。戦争だ」としている。半日たって、私の直感は素人のたわごとではないと証明されたの である。次の週の水曜日、私は同じ番組で「法治国家というのは、法律を守り、ルールを重んじなければいけない。つまりその枠内で説得力をもたなければ戦争 行為は発動できない。一方テロ集団はルールに縛られることがないゆえ、時には途方もない強さを発揮する。アメリカは世界最強の国ではあるが、テロと戦うと きには、そういう意味で大きなハンディを背負っている。辛い、長い戦いになるであろう」というような意味のことを云った。
この辛い戦争を耐え、勝利をおさめるには、一人でも多く共に戦う仲間が必要である。ブッシュ大統領の支持率が、史上最高の90%にも達していると いう。国内世論は固まった。国際的には英国をはじめ、EU諸国やNATO加盟国も、ニュアンスの違いこそあれ、アメリカへの支持を表明している。多くの犠 牲者を出した日本も、テロの被害国なのだということを忘れてはいけない。この際に於いても日本国内には、平和、平和と空念仏を唱えてさえいれば、平和が守 れると信じている者がいる。この手合いがルール無視のテロを増長させているのである。
先月の本誌で私は、「大それたことをもう期待する気はない」と言った。しかし、日本が当事者としてテロ撲滅戦線に参加するのだという英断を、小泉首相が堅持することを切に願っている。