小林よしのり氏の『台湾論』 (2001年05月号)

 

 昨年日本で発売された漫画家小林よしのり氏の著書「台湾論」が、2月に台湾でも翻訳出版された。日本で24万部を超えるベストセラーになった同書は、台湾を知らない日本の若い世代に、台湾の歴史や日本との深い繋がりを紹介した好著である。

 その「台湾論」が台湾での発売前から、一部団体や立法委員(国会議員)によって、新聞、テレビなどのメディアを通じ、連日連夜のバッシングに曝された。 発売後、3週間たった3月2日、台湾内政部は小林氏を「ペルソナ・ノン・グラータ(歓迎されざる人物)」として、入国禁止にすると発表した。 

 昨年野党に転じた国民党や、大陸統一派の親民党などの外省人(戦後蒋介石と共に大陸からやってきた中国人)にとって、台湾論は「百害あって一利な し」という彼らの危機感と苛立ちがこの騒動の原動力である。同書では蒋介石時代の二.二八事件(国民党による台湾人大虐殺)の顛末ばかりでなく、日本統治 時代の政策・事業が如何に台湾の近代化に貢献したかが、正確に描写されている。更に彼らを必死のあがきに駆り立てたのは、台湾論の主要なテーマが「台湾人 のアイデンティティの確立」だからである。中国との統一を願う大中華主義者にとっては、危険極まりない本なのだ。

 台湾論を抹殺し、人々の手に渡らないようにしなければならない。そう思った外省人のとった行動が、未だ大部分をその支配下におくメディアを活用し て、執拗な台湾論バッシングを展開することであった。同書をろくに読まずに批判を声高にがなり立てるさまは、外省人の牛耳るマスコミが基本的には反日であ ることを物語っていた。台湾に寄生する多くの外省人は、李登輝時代から始まった台湾の「台湾化」が、独立を主張してきた陳水扁政権の成立で、それが更に強 まっていくことを何より危惧している。不買運動や、焚書など秦始皇帝の時代に戻ったかのようなパフォーマンスまで演出され、台湾は一気に時代の流れを逆転 し、蒋介石政権の白色テロがリバイバルするかの如くであった。 

 それまで"サイレントマジョリティー"として、外省人の騒ぎをパフォーマンスとみなしうんざりしていた台湾人が、立ち上がる様子をみせたのは「小 林よしのり入国禁止」の決定が発表されてからであった。「台湾の民主化、台湾の国際的イメージを損ねる」という声が澎湃と湧き起こった。 
 
 小林氏が入国禁止になった翌3日、私は急遽台湾に飛び、台湾をかつての物言えぬ蒋介石時代に逆行させるつもりなのかと、中国統一派の牙城であるメディア に飛び込んで、彼らと連日大論争を繰り広げた。バッシングにめげない私に、心ある台湾人は大いに意を強くしたようである。マスコミに取り上げられるたび に、支持の声は大きくなり、いつの間にか台湾独立の新しいシンボルとして「金美齢現象」という言葉が報道で頻繁に使われるようになった。

 台湾論旋風は、中文版が11万部を突破するという(人口比換算では日本での66万部に相当/3月22日現在)大ベストセラーとなり、統一派にとって皮肉な結果となった。
 
 そんな騒動の中、陳総統当選一周年を祝って、3月18日、1万人近い台湾独立支持者が「台湾人の団結」を掲げ、台北の街をデモ行進した。「Say Yes to Taiwan . Say No to China」。の声が台北の街に響き渡った。指揮者がタイワンとスピーカーで叫ぶと、一万の群集が怒涛の如くイエスと呼応する。チャイナの声にはノーと ぶーたれた。総統就任後、対中政策で譲歩を続けている陳政権に対する独立派の欲求不満は、台湾論の騒動を通じて一気に溢れ出た形になったのである。私は足 取りも軽く、パレードの先頭を切って歩いた。

 行進前日、世界各国の台湾人組織が結集した「世界台湾人大会」には、陳総統も臨席し「政策の目標は台湾優先であり、実力と尊厳のある台湾を築かな ければならない。台湾人よ立ちあがれ。」と祝辞の中で呼びかけた。皆の心が「台湾国」の建国に向けて一つになった瞬間であった。

 かつて李登輝前総統は、故司馬遼太郎氏との対談で、台湾人は、殖民地の民として常に二等国民であった心の痛みを「台湾人に生まれた悲哀」と表現し た。今、台湾人が自らの運命を決める日がついに訪れた。「台湾人に生まれた幸せ」に、目覚める昂揚を実感しながらパレードは続いた。

 通行人を巻き込んで2万人近くに膨れた群集は、総統府前の広場に到着する頃にはカーニバルに参加するような喜びと明るさに満ちていた。

 台湾論がもたらしたのは、台湾人自身のアイデンティティの再確認であった。
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