『唇亡びて歯寒し』にならぬように・・・ (2004年02月号)

 

 来る3月20日台湾の総統選挙が行われるが、1年以上も前から始まっていた実質的な選挙運動は投票日が近づくにつれて複雑な様相を呈してきた。主要な局面を以下段階を追って説明する。

 韜晦された争点

 今日の台湾ではすべての政治闘争の核心は「独立か?統一か?」に集約される。しかし陳水扁現総統の再選を目指す台湾派も、国民党の連戦をかついで"復 辟"を狙う中国派も、どちらも最初はこの真の争点(イシュー)で争うことを避けてきた。中国派が台湾香港化の本音をおくびにも出さないのは、これが台湾人 には絶大不人気で、そんな事言ってたのでは絶対に勝てないからである。そこで彼らは中国大陸への台湾資本流出の問題を正面に押出し、中国との関係強化が産 業空洞化を解決する鍵であるとの幻想を振り撒き、失業に悩む人々の支持を獲ちとってきた。中国派のこの戦術にうまく乗せられた台湾派は、もっぱら経済政策 上の瑣末な問題で応戦するだけで、民族自決論に立って台湾併合の野望に真向から反撃しようとはしなかった。その背景には中国の「文攻武嚇」がある。日本に も何かというと「中国を怒らせたら大変だ」と言いたがる人がいるが、台湾派の民進党内にも同じ傾向があって、そのことが"独立でも統一でもない"という姑 息な戦術に逃げこむ原因となっていたのである。この生温い姿勢に熱心な独立運動者たちがそっぽを向いたため、台湾派の支持率は長い間低迷を続けた。

 香港から吹いてきた風
  
 上記の情況を打開すべく李登輝前総統は昨年5月11日の「母の日」に「正名デモ」を行うことを呼びかけた。これはSARS騒動のため9月6日に延期され たが、それを待っている間の7月1日、香港で国家安全条例制定に反対する人たちが50万人の大デモを行った。従来は台湾問題を抱えているため中国政府は香 港民主化への抑圧を手控えざるを得ない情況があり、台湾が香港を助ける役割にあったが、ここで香港から突如吹いてきた風は、台湾人を大いに元気づけた。

 「正名デモ」が台湾人の心をゆさぶる

 「正名」とは「中華民国」の虚名から脱却して「台湾」を名乗ろうという主張である。「台湾こそわが母」なるコンセプトの下で皆が台湾の息子、台湾の娘で あることを再確認しようというこの運動は、大方の予想を裏切って15万という史上空前の人数を集めた。続いて10月25日高雄で行われた新憲法制定要求の デモには、やはり約15万人が馳せ参じた。陳水扁の支持率が徐々に上り始め連戦との差をつめていったのはこの頃からである。デモのテーマは国号や憲法など "敏感な"問題ばかりだが、いかに中国といえど気に入らないからと矢鱈ミサイルをぶっ放すわけにはいかない事に、人々は気付き始めたのだ。

 香港親中派が惨敗

 昨年11月23日、香港の区議会選挙において、国家安全条例制定反対や行政長官直接選挙を掲げる民主党が躍進し、親中派が惨敗した。香港の民主派と台湾の民主派がいまや相互協力の関係に立ったことは、この時期香港側有志が来台して台湾勢と会談をもった事にも象徴される。

 「住民投票」とブッシュの牽制

  陳水扁が「住民投票」政策に初めて触れたのは、昨年7月ロンドンで開かれた世界台湾同郷会宛のメッセージを通じてだった。私はロンドンのその場に居合 わせたが、満場は拍手喝采に包まれた。最初これに反対して支持率を下げた中国派は、窮余の一策として「住民投票法」(昨年11月27日成立)を一旦認めた 上で国号等の変更を対象外とし、その無力化を計った。しかし陳水扁はその裏をかいて、台湾に照準を合わせた496基の中国の弾道ミサイルの即時撤去を求め るための住民投票を、今年3月の総統選と同時に実施する方針を発表した。その翌日訪米した中国の温首相は、これは台湾独立のための住民投票だと強弁して ブッシュ大統領に訴え、後者は台湾独立は支持できないと見当違いの発言でこれに応じた。ブッシュは北朝鮮問題への思惑からの発言だろうが、ミサイル問題に は私たち台湾人の生死がかかっているのである。撤去の要求は当然であろう。

 本文の出稿時点(03年12月25日)まで、陳水扁はこの住民投票の撤回には応じていない。

 日本の人々にもよく考えてもらいたい。選挙の結果中国の台湾併合という事態に至ったら、日本は古書にいう「唇亡びて歯寒し」の状態になる。シーレーンを抑えられ、死活を中国に制せられる。今日の台湾は明日の日本になること請け合いなのだ。
ページトップへ