台湾と北朝鮮 (2002年11月号)

 

 今日の朝刊にも「傲慢と無神経 外務省に憤り」なる投書が載っていた(「朝日」9月21日付)。平壌での署名直前まで外務省が拉致被害者の死亡日を首相 に知らせなかったことを憤っているのだ。明らかに朝鮮側も外務省も、計算されたタイミングで情報を小出しにしていた。双方とも、この死亡日のもつ重大な意 味を十分に認識していたことの証左であろう。朝鮮側はともかく、自国民の生死に関わるこんな問題にまで小細工を弄する外務省のセンスは、やはり普通からは 相当にずれている。

 実は外務官僚の言動には私もしばしば「傲慢と無神経」を感じることがあって、かねてから憤懣やるかたない思いをしていた。と言ってもすべて台湾に 関連することで、一般の日本人にはすぐにピンとは来ないことかもしれない。例えばこの8月末自民党の水野賢一議員は外務政務官を辞任した。これは、課長級 以上の台湾訪問は内規によって認められないとして、外相に訪台を阻止されたからであった。しかしそれなら、その直後に発表された小泉首相の平壌訪問は「内 規」に抵触しないのだろうか。

 台湾と国交がないと言うのなら北朝鮮も同じことなのに、一方へは課長も行かせないと冷ややかにあしらっておきながら、他方へは首相がわざわざ出掛けるというのはどういう理屈なのか。

 今更こんな事を言うのはバカらしくて気も萎える思いだが、日本にとって台湾とはどんな国だったのか、よく胸に手を当てて考えてもらいたいものだ。 戦後日本人が迫害を受けることなく、安全無事に引揚げることのできた唯一の「外地」は台湾だった。国破れて焦土となった日本が貧しきときも病めるときも、 終始変らぬ友情をもち続けたのは台湾であった。現在アジアで日本製品を一番沢山買っている国は、そして世界に先がけて新幹線を導入した国はどこなのか、北 朝鮮の日本に対する所業とコントラストの上で、よく考えてもらいたい。

 台湾は何度申請しても国連に入れてもらえず、さまざまな世界組織からも締出されている。これらの加盟問題において日本は台湾を支持しなかったばかりか、スポーツ関係のいくつかのケースでは締出し派の急先鋒となってきた。その結果、何の罪もない

 2300万の台湾人が永年にわたって国際的アパルトヘイトの状態に放置されてきたのである。「日朝国交」を急ぐ人の言分は定まって「北朝鮮を孤立化させてはならない」というものであるが、台湾が孤立化しているのはちっとも気にならないようだ。

 紙幅の都合で詳述は避けるが、これまで外務大臣や外務官僚によってなされた"台湾蔑視発言"の事例は山とある。人が逆境にあるとき、それをいいこ とに侮る態度に出ることは「武士道」の美学ではあるまい。かつて「日中復交 日台断交」のとき、「大国におもねらず、小国も侮らず」と警告したのは衛藤瀋 吉教授であったが、それも空しく、日本は国を挙げて事大卑小の方向に堕ちていった。

 台湾に対する外務官僚の尊大無礼さの根源には、「台湾は中国の一部」とする中国の勝手な言分に日本が呪縛されていることがある。「内規」がどうの「配慮」がどうの言ったところで、本音は知れている。ただただ中国の横車が恐いだけの話だ。

 台湾は過去も現在も一度も中華人民共和国の支配を受けたことはなく、現実に独立した主権を有する自由民主の国家である。日本も一個の堂々たる主権 国家として、台湾に関する中国の虚構の呪縛から脱却して、自分自身の目と頭で現実を見直すべきときではあるまいか。その意味で、私は水野議員の見識と勇気 に最大の敬意を表するものである。

 日本政府は何かにつけて、「近隣諸国の感情に配慮」を強調する。これまで近隣諸国の"抗議"を受けて政府高官の首が飛んだことも何度かあった。し かし台湾に対する外務官僚の非礼な言動については何のお咎めもなかった。まるで「近隣諸国」には台湾は含まれておらず、この島の人々の感情など無視して構 わないかのようである。

 水野議員のケースはこれまでとちょうど反対で、台湾の国民感情に配慮するが故に訪台を望み、それが阻止されたため抗議の辞職をしたわけである。こ れは台湾でも大きく報道されたが、「水野賢一」という人物が一人存在したお陰で、台湾人は全面的な日本不信に陥ることを免れた。私は真に日台親善を願う者 として、水野さんの播いたこの「一粒の麦」がいつの日か黄金の麦穂に実ることを信じたい。

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