「数」よりも「質」で勝負、日々の精進を望む (2009年10月号) |
8月30日、私は北九州市にいた。半年近く前から決まっていた福岡県議会松尾統章議員の毎年恒例の納涼ビアパーティ。この特別の日に、どれだけの人数が集まるのか、かなり気になっていたが、会場は後援者で埋め尽くされ盛会だった。
ホテルの部屋に戻ってからは夜中の2時近くまでテレビにかじりついていた。安倍晋三元首相は早々に当確、接戦を制した森喜朗元首相。鳩山邦夫、古賀誠、両氏の当確にも救われる思いであった。数日前に自民党惨敗の夢を見ていたが、その夜もなかなか寝つかれず、31日は6時前に起きてしまった。
台風11号のニュースが気がかりだった。急きょ早い便に変更、早々に帰路についた。羽田に着陸できない場合は福岡に引返すという条件付きながら、定刻に離陸し、大島上空で数十分旋回し、40分遅れで無事羽田に到着。強風でモノレールが動かないことも想定し、タクシーを選択、渋滞を避け、飯倉で首都高速を降り、事務所に辿り着いた。「嵐を呼ぶ女」と自称しているが、いつもなんとか逃げきる。この季節は要注意なのだ。
個人のささやかな出所進退にも、危機管理が必要な世の中、大志を抱く者は一層ストイックであらねばならない。民主々義社会で、政治家は選挙の関門をくぐらなければならず、一人一票の票をどれだけ集められるかに依って勝負が決まる。つまりはサポーターの頭数の問題なのだ。主権在民の自由民主国家で、10万20万の票を集めるのは半端な努力ではできない。この度、一方的な風が吹き、「小沢ガールズ」や「小泉チルドレンの廉価版」(林真理子・週刊文春)が多数誕生したが、逆風で消えた元祖チルドレンの先例がある。歴史は繰り返される。実績のない新人たちは4年ももつだろうか。逆風どころか、大津波にも似た環境で、勝ち残った自民党議員には党再生の重責が託されている。行く道は険しいが、野党の立場を経験するのも、有意義である。台湾では「たくさん仕事をすれば、たくさんミスをする。少し仕事をすれば、少しミスをする。何もしなければ、ミスもしない」と言われている。与党は行政を主導しているから、ミスも起きる。逆に、政権を担当していない野党に表立ったミスがないのは当たり前。無責任な言い方になるが、権力志向が無ければ、野党である方が気楽なのだ。自民党はこの際、冷飯に耐え、保守政党の王道とはいかなるものなのか、自省の機会を得たと思えば良い。
厳しい選挙戦に、見苦しい内紛が展開され、悪循環になっていった。わが身を守るのが先決で、党の結束は二の次三の次。国政を担う政治家は、私よりも公を優先させなければならない。その基本的な心構えがなければ、有権者の信頼は得られないことを忘れたかのように見えた。数日前、郵便受けに入っていたチラシも、テレビCMも逆効果だった。品の無いネガティブ・キャンペーンは支持者を意気阻喪させ、暗い顔して、黙って映っていた麻生首相は票を減らすマイナスCMだった。
羽田空港からのタクシーの中で、運転手さんがふと「今日でなく、台風が昨日だったら選挙の結果は少し違いましたかね」と呟いた。自民党が期待したであろう「神風」は起こらなかった。そういえばこの度の大敗は太平洋戦争敗戦に通じるところがある。焦れば焦るほど打つ手を間違えた。ネガティブ・キャンペーンでなく、国家観を説くべきであった。日本の歴史、文化、伝統を踏まえて国際社会であるべき姿を訴え、正々堂々と真正面から勝負していたら、保守派の離反は起きなかった。嵐は去ったが、政治の季節は波乱万丈。地下鉄の吊るし広告に「われら衆愚の選択」とあった。さすが週刊新潮。速い上にウマイ!!有権者はたまりたまったうっぷんを自民党にぶつけた。お灸をすえるつもりが、ブーメランのようにわが身に。後の祭りなのだ。
再生の道は「メード・イン・ジャパンへの回帰」。まずは自虐史観から自由になることである。焦土の中から世界第二の経済大国への道のりを歩んだ輝かしい日々を思い起こし、戦後レジウムからの脱却を目指し、努力するのが本筋であろう。景気の回復には「ヒト・モノ・カネ」日本のブランド価値を国内外に徹底させる努力をしなければならない。低価格商品がもてはやされているが、それでは雇用が一向に改善されない。仕事の創出に協力するよう消費者は価格より質で。政治家も数より質で勝負となった。自民党が十分に戦えるよう、日々精進すればよい。