選挙応援始動 (2012年12月05日)

 

 いよいよ総選挙に向けて始動しました。まず29日、羽田から山口宇部空港へ飛んで、そこからいきなり長門、瀬戸内海側から日本海側へ、南から北への山口県縦断、車で1時間半ぐらいかかります。安倍晋三決起集会、長門の後援会主催で、お父様の安倍晋太郎さん時代からの支援者が多く、とても熱心なところです。安倍さんご本人はもちろん出席できない、自民党を背負って全国を回っています。わたくしと昭恵夫人と二人で行ってまいりました。安倍晋三と同時に自民党への支援で単独過半数を目指して、ということでお話をしました。

 近くに俵山温泉があり、この温泉の湯につかりながら、たかじんと安倍さんがゆっくり話をして、安倍さんの再起を願う、といったことがありました。大谷山荘という素晴らしいホテルもあって、長門ではだいたいここに泊まります。夜は後援会の青年部の方々が昭恵夫人とわたくしを囲んでの食事会、これが苦手な会席料理でした。決められた料理で、たくさん出てきて、好きなものもそれほどでもないものもあって、自分では選べないので好きではありません。でも大変なご馳走で、若者たちがとても喜んでいました。青年に囲まれて大いに語らい、その後大谷山荘でゆっくり休みました。

 翌30日は何もなかったので東京に戻る予定でしたが、翌々日1日が下関だったので、そのまま大谷山荘に宿泊してまだ行っていない萩を見物したいとお願いしました。その通りに手配いただいたのですが、新しいスケジュールには萩の後、夕方に岩国が追加されていました。岩国へは北から南へ再び山口県縦断となり、車で2時間半かかります。

 まずは萩へ、松陰神社に参拝して、松下村塾を見せていただき、吉田松陰や高杉晋作のお墓にお参りして、長年の想いを叶えました。岩国までの道のりが長いことを知りつつも、少々遠回りをして秋吉台にも行っていただきました。息子が小学5年生のとき、ここの鍾乳洞に行くことになっていたのですが、こちらが出したハードルを越えることができずキャンセルにしたことがあり、秋吉台と聞くと、あの時の息子の残念そうな顔が目に浮かぶのです。で、今回わたくしが先に行きましょう、ということで立ち寄りました。行ってよかった。ちょっと小高いところを通って、美しい秋の風景を楽しむことができました。

 岩国は山口2区、ここでは岸信夫さんの応援です。相手は民主党・平岡秀夫氏、子供を殺された母親に「彼らにも犯罪を犯す事情があったんですよ」との暴言を吐き、しかも民主党が与党となってからは法務大臣までやったというとんでもない人物、比例でも復活できないように圧倒的な票を岸さんが取らなきゃいけない、と訴えました。萩から大変な道のりでしたが、行ったかいはありました。

 岩国から下関へ、これは東端から西の端への山口県横断となります。泊まったのは初めてのホテル、1階の離れの和室という、一番嫌な部屋に通されました。わたくしは、6階以上でベッドの暖かい部屋というのがいいのです。温泉の露天風呂もあって、精一杯のおもてなしなのですが、この寒さでは入る気がしません。室内のお風呂も外壁に面していて寒そう。担当のお嬢さんが早くから湯を溜めて風呂全体を温めてくれたりして、一生懸命に準備してくださり、何とか風邪もひかずにお風呂を済ますことができました。お嬢さんに感謝です。

 だいたい、畳に布団を引いて寝るということに慣れていません。ずっとベッドでの生活ですから。それに露天風呂、夏であればともかく、この寒さで、しかも深夜早朝に一人で入っても嬉しいことは何もありません。せっかくのおもてなしにとやかく言うのは本意ではありませんが、もしそんな機会がありましたら、まかり間違っても1階の離れの和室には泊めないでください。お願いしておきます。

 12月1日は4カ所、下関は合併でとにかく広い、東京23区よりも広い、そんなところを朝からぐるぐるぐるぐる回りました。各地での決起集会、昭恵夫人も一緒です。林芳正参議院議員が最初の2つに出席して、なかなかいいお話をなさいました。夜は安倍晋三後援会の青年部である晋緑会のメンバーと食事、わたくしがご招待する、と言ったのですが、前回ご馳走になったから今回はご馳走させてください、ということになりました。美味しかったです。フグのお刺身とフグの唐揚げ、最後におじやが食べたいとわたくしが希望すると、カニのいいのがあるので出汁をとって作ります、と。これは最高でした。若いイケメンに囲まれて、美味しい食事をして、決起集会の疲れが全部吹っ飛びました。

 2日、安倍総裁が1時間だけ下関に入る、ということで繁華街のど真ん中にあるシーモールというところで街頭演説、わたくしも急きょ立ち会うこととなりました。安倍さんは、金先生にそんなことまでさせちゃぁいけない、風邪でもひいたら大変、とのことだったようですが、地元の事務所が、どうしても、ということで、暖かい恰好で前座で10分ほど話をしました。話が終わり、9分でした1分足りません、とか言われて間もなく安倍さんが到着、最初にわたくしと握手、それから他の人と握手して、20分ほどしゃべって、何も言わずに行ってしまいました。いまから九州です。ご苦労さん、とも、寒くないですか、とも一言もなく、左から来て、右へスーと駆け抜けて、一瞬唖然としましたが、許します、日本の為に頑張っているわけですから。大変です、自民党を背負うだけじゃなくって、ゆくゆくは日本を背負うわけで、お体に気を付けていただいて、頑張っていただかないといけません。

 この後わたくしは田布施というところへ、岸信夫さんの集会です。ここは岸さんの本家本元があったというところ。今度は西から東への山口県横断、安倍さんは九州、って言っても関門海峡を渡ればすぐですが、わたくしは長い道のりです。集会では、わたくしの前の人が時間を過ぎても話をしていて、時間に神経質なわたくしは少しいらいらしてしまいます。

 この後、隣市の平生での集会、そして帰路宇部空港へ、これがまた車で最低でも1時間半、2時間はかかるという遠路です。空港は遠い、新幹線は停まらない、選挙区が広く端々まで行かなくてはいけない、選挙運動はとにかく大変です。

 先に述べた民主党・平岡秀夫氏のことで美齢塾塾生からメールをいただきました。最後に添付しますのお読みください。彼は国政そっちのけで地元にへばり着いているのではないでしょうか。「平岡さんはうちみたいな家にも上がって膝をつき合わせて話を聞いてくれる」、って、そんなレベルで国会議員を選ぶ人がたくさんいるのです。国政をやらないで、選挙区にいて1軒づつ話を聴いている人に票が集まる、国会議員ですよ、おかしいとおもいませんか。国会議員はお国の為に何ができるかです。だからこの体たらくなんですよ。

 岸信夫さんを応援するのは、日本にとって台湾が大切だと理解している岸ファミリーDNAゆえです。誰もが中国になびいた時代、台湾を見捨てるのはおかしいと主張した政治家、日中友好ももちろん大切だが、台湾を大切にしなければ日本の国益は守れない、ということを分かっていた政治家、そういう価値観というか見る目があるからです。ですから、安倍晋三さんには次期総理となって長期政権を実現していただきたい。そのためには、まず自民党単独での過半数確保です。そのためにひとりひとりができる範囲で貢献することが極めて重要だと考えています。78歳のこの後期高齢者もできる範囲でしっかり選挙応援に回ります。

****** 美齢塾塾生からのメール ******
金先生本日はお姿拝見でき感激でした!夕方岸さんの総決起に参りましたら、司会者の方から金美齢先生のお名前。え?????と思うとまもなく金先生のご登場!わっ本物だ!と大喜び。あの後すぐ下関に向かわれたとの事、お疲れ様でした。

平岡氏の大田総理での「彼らにも犯罪を犯す事情があったんですよ」との発言、私も番組を見ていました。にもかかわらず岩国市で平岡票が多いのは岩国市民として恥ずかしい事です。

氏は民放番組など見ないような山間のお年寄りからは良い人と大評判。どこが良いのですか?と聞くと「平岡さんはうちみたいな家にも上がって膝をつき合わせて話を聞いてくれる」だそうでそんな仕事「市議会議員か地域のボランティアにやってもらってください」です。国会議員の仕事ではありません。国会議員なら外交、防衛、経済がメインでしょう。こういった間違った1票が日本を駄目にしている。先生がお怒りの通りです。

会場を出るとき親子連れのお父さんが小学4?5年?くらいの男の子に「金美齢さんのお話しどこが印象に残ってる?」と聞くと「大田総理が凍りついたとこ」と返事。小学生しっかり聞いています!

きっと平岡氏は、「自分は犯罪者にも優しいいい人」を強調したかったのだろうと想像できます。死刑は執行しない。政権与党に居ながら森本防衛大臣に非協力的。オスプレイ反対、艦載機移転反対。票に繋がるであろう方側に立つ人。こんな人を国会議員にしないために私も選挙運動頑張ります。

決起大会の前に仕事で印刷屋さんと打ち合わせ。平岡氏の選挙印刷物を受けているようで、担当者曰く「負けるの分かってるのに本人は当選する気でいるんだよね」、その自信をしっかり打ち砕きたいです。

(山口県 M)

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