先覚者 西村眞悟さん (2012年07月18日)

 

 12日午後7時から、九段下のザ・グランド・パレスで西村眞悟さんの東京での集まりがありました。たちあがれ日本の代表平沼赳夫さんが最初にご挨拶され、その後急きょわたくしが数分間挨拶しています。西村さんとは長いお付き合い、民社党時代からです。当時、台湾独立に賛成するというか支援すると明言していたのは民社党だけでした。独立を志す私たちとしては、票もお金もないなかで、せめてモラルサポートを、と活動していました。ですから、選挙のたびに、西村さんが当選するかどうかで一喜一憂したものです。幸い、長期にわたって国会議員として活躍されましたが、国政を担う国会議員として西村さんほどふさわしい方はそんなにはおられないのではないでしょうか。拉致問題を率先して国会質問し、15年前には国会議員として初めて尖閣に上陸するなど、国を守る、国民を守るということで、はっきりと意見を述べる人はそんなにはいないとわたくしは考えています。

 西村眞吾さんの会合でよく言うのですが、昔の中世期時代であれば先覚者は火あぶりか絞首刑になった、民主主義の今の日本ではそうはならないが、大いなるバッシングを受け、一般的な支持を得られない、と。尖閣に上陸して戻ってきた後の、世の中の異常なバッシングぶりを忘れることはできません。それから15年、今や、石原慎太郎都知事が尖閣を買うと言えばたくさんの寄付金が集まる時代、領土問題に関する日本の世論、関心、国民レベルがやっとここまで来たかという感がありますが、西村さんは先覚者として15年も早かったともいえるのです。早すぎるのはむしろ害にすらなる、国民レベルの数歩前、あるいは半歩前ぐらいがちょうどいいのかもしれません。

 昔から変わることのない主張、そこに西村さんの真価があり、大変熱心な支持者もおられます。でも、国会議員となるためには多くの人の票が必要です。次回、大阪の小選挙区から出馬されるのですが、結果がどうなるのか、大変気になります。大阪の選挙区の方は票を、そうでない方は何がしかの軍資金、それが難しければせめてモラルサポートをしていただけたらありがたいです。日本の国のために。

 ところで、この3連休はいかがお過ごしでしたか。上り30数キロ渋滞、などのニュースを事務所で見ながら、毎年毎年のこと、まあみんな懲りもせず出かけて、などと考えたりしたものの、実は息子家族も出かけていたのです。会社が契約しているホテルが取れたとかで。最終日の16日に電話で、いま軽井沢の有名なジャム屋さんにいるけど何か欲しいものは、と訊かれて、ジャムは売るほどあるからいらない、ってすげなく答えました。せっかくお土産を買おうと張り切って電話したのに、母親の冷たい一言でがっかりしたようです。また、連休初日には、孫娘がアメリカのサマースクールに発ち、何とか仕事を休んだ娘夫婦ともう一人の孫娘が成田に見送りに行き、その帰りにわたくしのところに寄って、みんなで夕食をいただきました。

 そんなこと以外は何事もなかった3連休、ひたすら後片付けの日々でした。何年も前の手紙がでてきたり、その中には、ひょっとしたら返事を出してないかもといった手紙があったり、いろいろな資料を読み返したり、そうこうしているうちに、もっと大きな未整理の山ができたようで、片付けてるのか散らかしてるのか分からない状態となってしまいました。

120718.jpg 塾生から届いたお花

 連休前に美齢塾塾生からお花が届きました。静岡で胡蝶蘭の栽培と卸をしている方から箱2つ、その箱には可愛い絵と「台湾生まれ 静岡育ち」との文字がありました。台湾で栽培された苗を、日本で育てているのです。心のこもった素晴らしいプレゼント、ありがとうございました。

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