「無関心派は一部」、でしょうか? (2012年09月13日) |
9日日曜日の「たかじんのそこまで言って委員会」をご覧いただいた方々から共感や励ましのメールをいただきました。ただ1通、次のようなメールもいただいております。領土問題にしても、拉致問題にしても無関心なのは一部の人たちです、というご意見です。本当にそうなのでしょうか。
***************
件名:日本人の性質について
金美齢 様 そこまで言って委員会を毎週見ております。美鈴さんは「日本人は無関心だ」と領土問題にしても拉致問題にしてもひとくくりにした発言をなさいますがそうではありません。私達も外交に関しては非常な危機感は持っておりますし、拉致問題についても横田さんを見るたびにどうにかならないものかと心を傷めております。しかし私達ひとりひとりに出来る事は限られており、政府が何か政策を行わない限りどうしようもないのです。
日本人は情に厚く、なるべく平和で皆が平等に生活できる事を願っております。子供達の輝く将来も願っております。ですから今日放送中したような、日本人を侮辱するような発言は控えて頂きたいです。
私達は戦争は絶対したくありません。戦争ほど命をそまつにする馬鹿げた事はありません。私達はそこまで最悪な事態まで考えているのです。無責任な発言は止めて下さい。
無関心で非情なな日本人は一部の人間だけです。私達日本人はそんなに馬鹿ではないですよ・・・。
***************
わたくしを始め、わたくしの周りにも、危機感を持ち、熱心に発言や行動されている方はたくさんおります。でも「無関心派は一部」とはとても思えません。例えば西村眞悟さん、領土問題や拉致問題についてだれも発言しなかった時代から、発言され、行動されている、いわばパイオニアとも言うべき方です。ところが彼の選挙区では票が集まりません。何十年と日本を見ていますが、大多数の人は無関心だったし、緊迫の度を増してきているいまでもまだまだです。7月の山口県知事選挙の投票率は45%でした。半数以上の人が関心を示さない、もちろん領土や拉致だけにではありませんが、これが日本の現状です。日本の安全に、人々が非常に高い関心を持っている、とはとても言えないのです。だからこそ、いまの日本の体たらく、ということです。
平和や平等、子供たちの将来、といったことを願い、戦争はしたくはない、と思う、それは誰しも同じでしょう。でも願いや思いだけではそれは実現しません。行動や実践が伴わなければあまり意味はないのです。それに、平和や戦争反対を唱えさえすれば平和になり戦争は起こらない、と思っている人たちもいます。それはそれで幸せな人たちですが、世の中はそうではありません。そういった考え方から一歩も出ることなく、自分の価値観の中に閉じこもっていては、世界の中で、いま日本が置かれている状況は見えてきません。
前回の本コラムで掲載した「安倍晋三総理大臣を求める民間人有志による緊急声明」、5日に安倍さんに直接手渡して、その後記者会見を行いましたが、ニュースではほとんど取り上げられませんでした。この日、テレビが優先的に取り上げていたのは美川憲一さんの独立問題、日本の将来を担うリーダーを決めるというのに、いったいどうなっているのでしょうか。これも、国の安全とか、国のあり方などにいかに無関心であるかの一つの表れでしょう。こうして寄ってたかって日本を衰退させている、そんなことを強く感じています。
8日土曜日は日本青年会議所の教育部会に招かれて、御茶ノ水のガーデンパレスで講演をしました。教育に携わる方々がとても熱心に、日本の教育はどうあるべきか、について考え、集まっていて、とても熱心にお聴きいただきました。やはり教育からやり直さなくてはいけない、そう思うんです。9日日曜日に娘家族と夕食をいただきました。土日も休みなく働き、この日8時過ぎになってやっとやってきた婿殿、彼がいまの若者の忍耐力のなさを嘆いていました。優しくて有能だが、ちょっとした壁にぶつかるともう乗り越えられない、気力、耐力がまるっきりない、と言うのです。婿殿が40代半ばですから、その後の年代、親として、先輩として、教育の根本から考え直す必要があります。特に、理不尽なことに出会うことなく育った若者が多いこと。でも世の中に出れば理不尽なことはあるんです。それに耐えられるか否かが、社会人として働けるか否かの分かれ目になるのですから。
6日木曜日、夕方からの会合に出た後に東京から大阪に移動、夜遅くに疲れて定宿リッツカールトンに入ったのですが、そこで美しい花に迎えられました。写真を掲載しますのでご覧ください。部屋に入って間もなく、ウエルカムドリンクのしぼりたてオレンジジュースが届きました。その美味しかったこと。美しいもの、美味しいものは疲労回復の良薬です。