長い長い積み重ねの結果です (2012年07月04日)

 

 なぜ自民党を応援するのか、それは50年前の岸信介元首相との出会いから始まった、ということを28日の自由民主党オープンカフェスタ「12時間ぶっ続け、生自民党」での安倍晋三元首相との対談で、50年前の岸氏との出会いの写真をお見せしながら説明しました。その様子はニコニコ動画に掲載されていますので、ご覧いただいた方もいらっしゃるかと思います。前回のこのコラムで紹介していますので、まだの方はぜひご覧ください。それは、とても楽しく、有意義な1時間でした。半世紀にわたる自民党へのエール、いろいろなことがあったようで、あっという間だったようで、飽きっぽいと思っていた自分がこんなに長続きするなんて、と意外な思いもしています。

 50年来を思い起こすことがその前日27日にもありました。美齢塾塾生2人と新宿のつな八という天ぷら屋さんに出かけたときです。そこの若旦那、いやもう当代でしょうか、の顔を久しぶりに見て思い出しました、ここにもう50年通ってるんだ、と。そのことを若旦那、わたくしからみるといつまでも若旦那、に話すと、ありがとうございます、との言葉が返ってきました。50年前、それは彼が生まれたころでしょうか、シンガポールのある新聞の日本特派員だった方に連れて行ってもらったのがつな八でした。それ以来通っています。若旦那は男二人兄弟、二人が青年になったときお会いし、ずいぶんイケメン、当時はまだそんな言葉はありませんでしたが、背が高くてハンサム、とにかく素敵、との印象を持ちました。二人とも慶応大学で、弟さんはうちの娘と同学年、その奥様は娘の知り合いです。うちの娘・息子と同じ慶応大学で、若い頃から見知っていましたが、久しぶりに会って、お互いに歳を取ったなぁ、って。わたくしは78歳で当然ですが、若旦那はおそらく50歳代、そこでまた50年来ということを思いました。

 つな八で思い出すのは、息子が生まれる直前までこの店にいて、ここから産院に駆けつけるタクシーの中であやうく出産しそうになったことです。つな八に行くときにはすでに陣痛らしきものが始まっていたのですが、娘のときがとても時間がかかったので、そんな簡単に生まれるとは思っていませんでした。みんなが心配して来てくれたので、とにかくみんなにご飯を食べさせなくちゃ、ということがまず頭にあり、つな八に連れて行ったのですが、食べてる間にどんどんどんどんお腹が痛くなってきて。それでもみんなのご飯が済むまでは、と、それに産院に入ったらろくなものしか食べれないだろう、という思いもあって、天ぷらを食べていたのです。なにしろ、ツッパリで食いしん坊ですから。大急ぎで産院に駆けつけたとき、もう生まれます、って言われてしまいました。それで息子のことを天ぷらボーイって言ったりして。

 そんなエピソードもある、長いお付き合いのつな八、ここは本当に新鮮な魚の天ぷらがいただけます。とにかくお客さんが多く、繁盛している、だからこそ回転が速くネタの鮮度が高い。支店が増えた今はさほどではありませんが、昔はいつも行列、食事どきは長時間待たされました。今回は、天ぷらはあまり食べないとか地元福岡以外では生の魚は食べないという塾生でしたが、そんな人でも自信を持って誘えるお店なのです。この日も、小柱の海苔巻を食べた後に、小柱とエビのかき揚での小さな天丼をお願いしたところ、小柱はさっきで終わりました、と言われてしまいました。

 29日は、わたくしが理事長を務めるJET日本語学校の理事会、これも1988年からですから、四半世紀になろうとしています。バブル絶頂期に始めた日本語学校、ジャパン・アズ・ナンバー・ワンという本が話題となり、大勢の留学生が日本に押し寄せてきていた時期です。いまや、円高、地震、原発事故などで、在校生は帰る、新しい生徒は来ない、で大変な思いをしています。まあ、少しずつ回復してきてはいますが。日本語教育を、そして日本を好きになる外国人を増やす努力を地道に続けているわけです。その学校の理事会、終了後はフランス料理での会食となります。わたくしは食べることが最優先、みんなで美味しいものを食べて、愉しい時間を共有して、楽しく協力していく、そんなことを常に考え、実践してきました。だからこそ人間関係をはじめ、いろいろなことが長続きしているのかもしれません。

 四半世紀のJET、50年に及ぶ自民党応援、つな八通い、1つの団体への所属、多くの人間関係、飽きっぽいと思っていた自分が、振り返ってみるといろいろと長続きしています。そのおかげで、金さんイコール美味しいもの、金さんイコール日台交流、といったものがしっかり定着しました。長い長い積み重ねの結果です。

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