消えた高齢者 (2010年08月11日)

 

 3日火曜日の広島・富士通エグゼクティブセミナーでの講演で、わたくしが美味しいと言っていたバッケンモーツアルトのクッキーを、オタフクソースの常務さんからまたいただきました。クッキーやケーキ、生菓子だけでなく半生菓子も、日本全国、小さな地方都市にも、とてもいい職人さんがいて、いろいろな種類の美味しい洋菓子がたくさん作られています。もともと和菓子の伝統が長い日本、こんなところにも物作りのレベルの高さがある、地方に出かけて実感することです。広島といえばもみじ饅頭、今回初めてお土産にいただきましたが、そのまま孫のところへ、クッキーだけはわたくしの分をしっかり残しました。

 講演後に現れたジェントルマン、お子さんが、わたくしの孫の小学校でのクラスメイトとのこと、まぁ、ご近所の方と遠く離れた広島で出会うなんて。実家に戻ってきたら先生の講演会があると聞いて参加させていただきました、とご挨拶いただきました。東京に帰ってから娘に話すと、びっくりした様子で、広島で会ったお父さんは娘と同期で慶応の同じ文学部、卒業アルバムを見るとすっごいハンサム、奥様も美人で、息子さんがまたすばらしいイケメン、と延々と聞かされました。世の中、どこでどうつながるか分かりません。こういう出会いは楽しく、その一つひとつを大切にしたいものです。

 7日、8日の土日は久々にゆっくり、3、4週間ぶりです。電話に出ると息子からで、おー、と言うので、生きていたの、と先手を打ちました。以前、わたくしへの連絡がなかなかとれず、やっと電話がつながったとき開口一番、生きてたんだ、ときたものですから、そのお返しです。娘からの電話では、あっ、いた、という第一声でした。このところ「妖怪いそがし」に取りつかれていて、なかなか連絡がとれません。

 高齢者が消えた、そんなニュースでもちきりですが、別に消えたわけではなく、放っておいた、というか、連絡を取らない、というか。もう30年も連絡をとってません、認知症になっていなくなり行方がわかりません、捜索願を出しております、そういう息子や娘のセリフ、家族ってこんなものになってしまったのでしょうか。まあ、無理矢理でも生かしておけば年金が入ってくる、そんなことなんでしょうかね。少子高齢社会の歪がこんな形で現れた、そんな気がします。

 7月末に台湾で見た新聞に、親孝行な息子たちの話が取り上げられていました。母親が90歳代、息子が7人、少し離れたところに暮らしていて、交代で毎朝母親のところに行き世話をする、食事の用意をする、夜母親が寝るのを待ってから帰る、7人いるので週1回、都合が悪いときには互いに調整する、といった記事です。

 消えた高齢者と対照的な話しです。年寄りが一人ぼっちになる、それはやはりその人のそれまでの生き方の結果だ、と思わざるを得ません。いろいろな問題が起きていますが、全ては自分がどう生きてきたのか、ということでしょう。自分の思いのままに、自由に、勝手に生きてきて、社会への貢献もせず、ゆくゆくは行政に面倒見てもらう、面倒見るのが当たり前、そんなことだとしたら、これはもう開き直ってるとしか言いようがありません。行政を支えているのは国民、社会、その一員として、公人としてどう行動すべきなのかを考えて欲しいものです。それも、若いうちから真剣に。

 9日月曜日収録の日本テレビ「太田光の私が総理大臣になったら...秘書田中」には安倍晋三元首相も出演されています。ぜひぜひご覧ください。13日金曜日午後8時日本テレビです。わたくしもその場におりますので。

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