沖縄県防衛協会40周年記念講演会 (2012年05月23日)

 

 前回のコラムで、北九州や熊本は近い近い、などと言いましたが、18日は沖縄、これも距離を感じることなく往復しました。ニューヨークの帰りでは苦労しましたが、先でのその苦労が、後での楽につながって、沖縄は近いとまでは言いませんが、全然苦ではありませんでした。 若い頃の苦労は買ってでもしろ、という格言を思い浮かべました。

 沖縄は那覇での沖縄県防衛協会40周年記念講演会です。自衛隊活動への支援協力を目的として、40年前の沖縄本土返還と同時に創立された沖縄県防衛協会、返還のとき起こった自衛隊沖縄駐在反対の声の中での出発でした。反対はもちろん一部の人たちでしたが、声だけは大きく、メディアの後押しもあってとても盛大かのように聞こえたのです。そんな状況から自衛隊にエールを送り続けて40年、いまでは自衛隊の大切さが沖縄でもよく理解されるようになりました。

 かなり前に、沖縄の自衛隊員を成人式に招くな、というデモがあり、バナーなどを広げたりしているのをテレビで見たことがあります。そのときにとても不思議に思ったのは、日ごろ人権、人権と言っている人たちが、こういうときになんで何も言わないのだろう、ということでした。殺人者の息子を成人式に招くな、などという声が起これば批判するはずなのに、自衛隊の若者を成人式に招くなという声が起こっても誰も批判しようとはしない。進歩的文化人といわれる人たちはダブルスタンダードで卑怯だ、との印象を強く受けました。当時、無名の一民間人で外国人ではありましたが。後にテレビに出るようになってから、「朝まで生テレビ」でその話をしたことがあります。

 そんな時代を経て、少しずつ少しずつ認知され、昨年の大震災における活躍などがあり、今年、PAC-3沖縄導入が大きな混乱もなく完了しました。そんな沖縄での高い認知度を得たいま、40年の歩みを振り返って、防衛協会の方々には万感迫る思いがあることでしょう。講演では、沖縄の人たちに向けて、わたくしが信じていることを、ぶれることなくお話をさせていただきました。場の持つ意味について、住んでいるところ、生まれたところ、選びようのない宿命ともいえる場、沖縄の地理上の意味、ハワイもそうです。太平洋戦争はハワイの真珠湾攻撃で幕を開け、アメリカの沖縄総攻撃で幕が下りました。もちろん原爆が最後の一撃ではありましたが。それぞれの場のもつ宿命というものがあるのです。台湾も同じ状況にあると言えます。

 那覇に出かけたときはナハテラスに泊まります。品のいいホテルです。同じ経営でブセナテラスという有名な、沖縄サミットの会場となったホテルがありますが、那覇から少し遠いのでそこまでは行けません。数年前に、仕事ついでに足をのばして、娘と二人で真夏の素晴らしい2泊3日を過ごしました。素敵なリゾートホテル、娘ではなく若いイケメンだったらもっとよかったかもしれません。今回は仕事だけ、講演後は一人寂しく鉄板焼き、高級石垣牛をホテル内でいただきました。翌日、沖縄までわざわざ講演を聴きに来てくれた美齢塾塾生と朝食、わたくしの宿泊先を聞き、同じホテルにするとのことでしたので、朝、レストランで落ち合いました。

 その日に東京に戻り、翌日は大阪です。翌々日が静岡で、大阪日帰り、静岡日帰り、というスケジュールでしたが、後期高齢者なので、大阪から名古屋、名古屋で常宿のマリオットアソシアに1泊、そして静岡、東京、というコースにしました。名古屋から静岡は各駅停車のこだま、駅停車中にのぞみやひかりが爆音を立てて追い越していきます。のぞみがあり、ひかりがあり、こだまがあり、停まる駅や料金は異なり、扱いにもこのように歴然とした差がある、それを実感する瞬間でした。そういった差を誰も不思議に思わず、みんなが納得して受け入れている、でも、働いている人とそうでない人、税金を納めている人とそうでない人、そういったことでの差は許されない、みんな平等だという建前、そして、弱者のほうが声を大きくできる、という世の中の不思議をあらためて考えました。静岡は静岡法人会での講演、そこではそんなお話もさせていただきました。

 講演では、台湾烏龍茶「金美齢のお茶物語」を少しでも知ってもらおうとリーフレットをときどき持参します。静岡では宣伝できない、と講演会場の控室で申し上げたら、静岡のお茶と烏龍茶とは違いますから、と言ってくださいました。静岡の新茶をお土産にいただいたり、早稲田の教え子との再会があったりで、素晴らしい静岡となりました。20年前の教え子ですが、いまでも可愛くてういういしく素敵です。静岡に帰って家業を継ぎ、いま日本一の塩を作っている、とのことでした。

 静岡からの帰りの新幹線、観るのは無理かなと思っていた富士山、目を上げたとき丁度見えました。大阪に向かう往きも、曇っているから駄目かな、とひょっと窓を見ると富士山がありました。虫の知らせとでもいうのでしょうか。往きも帰りも雲がかかっていたものの、しっかり見えました。さすがに雪は少なく、冬のあの真っ白な輝くような富士景色ではありませんが、道中を素敵な気分にしてくれています。

ページトップへ