『水戸黄門』症候群 (2012年04月16日) |
ホームページから寄せられたメール、わたくしも同様に思う点がいくつかありますので、ご本人のご了解を得てここに掲載させていただきます。
『水戸黄門』症候群
先生の著書『凛とした日本人』を読みました。特に大きな同感も反論もありませんが、170ページの「テレビが弱者を増やしている」との項には、大きく肯くものがありました。私は、これを以前から、日本人の『水戸黄門』症候群と呼んでいます。
テレビで毎週流される時代劇『水戸黄門』においては、少数なもの、貧しいもの、力のないもの、すなわち『弱者』が常に【善】です。お金持ち(越後屋)、地位の高い人(お代官様)、威張っている人(悪徳医)が常に【悪者】です。この対立の構図は、欧米の映画にもあるシチュエーションですが、欧米との違いはその後です。欧米では、この対立を打破するのは弱者であって、自ら銃を持って戦ったり、相手を縛り首にしたりします。他方、日本では、地位の高い人は【悪玉】のはずなのに、さらにそれより地位の高い人=水戸黄門(別の番組では、暴れん坊将軍)が現れて、あっという間に成敗してくれるのです。弱者は最高権威者に救われ、めでたしめでたしとなります。
そんな訳で日本人は、政治は政治家がやってくれるもの、治安は警察が、教育は先生が、裁判は裁判官が、命の生死与奪は医者が決めてくれるものと思っており、自分では何一つ責任を負いません。自分で決める責任を負わず、相手が何もしてくれないと権利ばかり主張します。
ある地方で、大きな地震が発生した後にその役所に都会からこんな電話があったそうです。「自分の親の家が半壊しているのに、何故市役所は建て替えしてくれないのだ。政治の怠慢だ」と。自分の親が、半壊した家に住んでいるのを自分では見にも来ないで、税金で全部建て替えろというその意識こそ、『水戸黄門』症候群の何者でもありません。
88歳男性:80歳で脳梗塞になり認知症も加わって介護施設に入所、85歳頃から寝たきりに、半年ほど前から食が細り、1ヶ月前から施設のかかりつけ医によって点滴が開始され、それでもいよいよ体がむくみ、意識が低下し、呼吸が弱くなって、夜中に救急車を呼んで救急病院へ運ばれてきます。家族は、久しぶりに父親の変わり果てた姿を見て動揺し、何でこうなったのか?治らないのか?と病院の主治医に迫ります。呼吸が止まりそうになるのを何とかしろと言われるので、医師は人工呼吸器を着けます。食べられないので、胃に穴をあけて(胃瘻という)管で栄養を入れます。そして、数ヵ月後、器械や管に繋がれたまま患者さんは死んでゆきます。医者はつらい最期にしてしまったことを患者さんに詫び、家族は治してくれなかった医者に感謝することはありません。老いと病いの区別も付かず、父親の最期のあり方を医師の責任にする、これも『水戸黄門』症候群の悪しき症状です。
司法での裁判員制度も、それほど実効性のある制度とは思いませんが、国民が自分で自分のことに決着をつける覚悟を強いられる訓練になることには間違いなく、少しは期待します。
しかし、ただの身勝手や怠慢で貧困に陥った者への自立論、自己責任論はかき消されがちです。何しろ、弱いものは何もしなくても、水戸黄門的なものが助けてくれると信じているからです。教育や防衛、貧困や介護、色々ありますが、このメンタリティー、なんとかなりませんかね?