台湾総統選挙を現地で見て (2012年02月28日)

 

 美齢塾塾生から台湾総統選挙レポートが届きました。かなり長文ですが、みなさまにぜひお読みいただきたくここに全文を掲載いたします。

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台湾総統選挙を現地で見て

 一月十四日夜、雨の降りしきる台北・板橋第一体育場には数十万人の民進党支持者が集まっている。既に蔡英文の敗戦は決定的である。しかし、彼らが帰路に就く様子はほとんど見られない。最後のエネルギーを絞って、びしょびしょに濡れた蔡英文応援旗をいつまでも振り続け、声援を送り続けている。

 待ちわびた支持者の前に蔡氏が登場すると、改めて大きな拍手と声援が送られる。敗軍の将は、雨に打たれながら彼女を待ち続けた支持者に対して感謝の気持ちを述べたと同時に、選挙戦に勝つことができなかったことを詫びた。それと同時に、再選を果たした国民党の馬英九氏に対しても素直に祝いのメッセージを送った。実に美しい光景であり、銃撃事件の発生と選挙結果の無効主張により混乱を極めた二〇〇四年の総統選挙とは対極的な模様であった。辞任を表明して敗戦の責任を一手に引き受けつつも、希望を失わず、いつまでも台湾を愛し続け、いつか必ず戦いの場に戻ってくることを誓う彼女の姿に、多くの支持者は力づけられた。

 私は選挙の数日前から台湾入りし、台北、台中、台南と回り、選挙の当日は台北でその模様を見ていた。選挙直前は、各党が各都市において大規模な集会を企画し、多くの支持者が訪れる。その活気たるや日本の比ではない。政治家や有名人が代わる代わる登壇して応援演説を行い、時には歌手や演奏家が登場し自慢の芸を披露し、集まった支持者たちは長時間に亘って歓声をあげたり応援旗を振ったりしながらその模様を見守り続ける。台湾人にとっては民主主義も政治参加も自分たちの手で勝ち取ったものであるから、政治に対する関心も日本人より強くなるのであろうか。

 選挙の前々日、今回の総統選挙が持つ意義について深く考えさせられる出来事があった。その日、台中の知り合いの家に滞在していた私の下に、ある中年の女性がやってきた。日本語世代である彼女の父親の下に日本語で書かれた手紙が送られてきたのだが、彼は病気を患っており字が読めない。彼女は日本語を理解することができないので、私に読んで説明してほしいとのことだった。

 その手紙の差出人も台湾人であった。手紙の差出人と受取人は同級生であり、差出人は「外省人に牛耳られた台湾にはいたくない」ともう長く海外生活を続けている。手紙には、高齢になった同級生や戦友たちが少しずつ減っていく中で、もう一度台湾に戻り友人たちに一目会いたいと書かれていた。しかし、彼はかつての帝国軍人であり日本に対する親近感を強く持つ一方、戦後台湾にやってきた中国人に対しては強い嫌悪感を抱いており、今度の選挙で蔡英文が当選しなければ台湾には戻らないとも書かれていた。

 彼の書いた日本語の文には不自然な点は一切見当たらない。友人たちと歌を歌い野山を駆け巡った幼少期、帝国軍人として戦った大戦末期、国民党による迫害と海外での流浪生活を送った戦後、高齢となり母国の地を踏みたいと願いつつも自分の信念を通し続ける現在。その情景を浮かび上がらせる手紙の内容に私は心を打たれた。歴史に翻弄され続けた人生であっても最後に思い出されるのは、今も忘れ得ぬ幼少期の記憶と自分を育んだ母国への望郷の思いである。

 彼女は、私の説明を聞きながら涙を流していた。手紙の中には彼女が今まで知ることのなかった事実もいくつか書かれており、彼女はその手紙を通して父親の歩んできた人生というものを再確認し、父親の心の痛みや願いを改めて知り直したようであった。私は良いことができたなという気持ちを感じたと同時に、通訳を介さなければ親世代の記す文章を読むことができない彼女のもどかしさに心を痛めた。今回の選挙の本当の意味というのは、私達外国人に理解することが難しいだけでなく、例え台湾人であったとしても簡単には理解することができない類のものなのかもしれないとも思った。

 目前に旧正月を控えた今回の選挙は、民進党にとってかなり不利な戦いであった。台湾では、国民党支持者は北部に多く、民進党支持者は南部に多い。南部に住む多くの住民は、進学や就職に伴って首都である台北へと移る。その結果、台北に滞在する南部出身者(その多くは民進党支持者)は投票のために交通機関を利用して故郷へ帰らないといけない。翌週には帰郷し家族に会えるにもかかわらず、わざわざその一週間前に費用と時間をかけてまで故郷に戻って投票するという選択肢を諦める人が一定数出てくることは、想像に難くない。

 しかし、制度的に有利不利以前の問題として、台湾に対する中国の影響力が増していることが民進党にとっての最大の敗因であったことは間違いない。今回の選挙の最大の争点は、馬英九が二〇〇八年の就任以降押し進めてきた対中融和姿勢であった。中国との間における経済協力枠組協定の締結など、経済面を中心とした対中国傾斜はこの四年間で非常に強まった。台湾人民は対中国依存の強まりに一抹の危機感を持ちながらも、一度味わった経済的利益の果実を選ばざるをえなかったということであろう。

 この選挙結果を中国人はどのように受け止めるのであろうか。中国人でありながら台湾の独立を支持する人はほとんどいない。これは、香港人やマカオ人であっても変わらない。更に言えば、民主化論者や反共産党論者でありどれだけリベラルな思想を持っていたとしても、いざ台湾の話となれば共産党の党員の見解と大差がないことも良く見受けられる。馬英九の勝利を「台湾人が中国と関係を深めることを望み、いつか大陸と一つになることを望んでいる」と誤解する中国人も必ず出てくるはずである。これは、その中国人に悪意があるかないか以前の問題として、そもそも台湾問題に対する意識が周辺諸国とはあまりにも隔絶しているのである。

 重要なことは、この選挙の結果を中国人がどのように解釈しようが、私達日本人が自分たちの目で正しく見つめ正しく理解することである。国際社会の舞台において、中国が台湾総統選挙の結果について誤った見解を披露した際には、日本人もそれは違うとはっきり言うべきではないだろうか。ましてや、日本人自身が中国の喧伝に呑みこまれ、誤った認識が広がってしまうような事態は絶対にあってはならない。

 今回の台湾総統選挙は、今後の台湾の存亡を決定づけると言っても過言ではない、まさに天下分け目の戦いであった。そして、この戦いの結果は台湾の将来にとって大きな意義を持つのみならず、今後の日本にも大きな影響を与えるであろう。日本の親台派や台湾の独立派を中心とする多くの有識者は、「世界で最も親日的かつ、自由と民主主義という価値観を共有している台湾を失うことは日本にとって大きな損失であり、馬英九が再選されて台湾の中国傾斜が強まることには危機感を持つべきである。」と重ねて主張してきた。その観点からすると、私達は日台の将来について憂慮せざるをえない。

 更に懸念を感じさせる出来事が、選挙の翌日に私の下に起こった。台湾全土が選挙に興奮が冷めやらないこの日、友人の伝手で何人かの若者と話す機会を得たのだが、今まで選挙応援会場で見てきた多くの台湾人とは正反対の政治的無関心を、私は彼らから強く感じてしまったのである。民主化以前の時代を経験している世代の人々にとっては自由と民主主義とは勝ち取ったものであり、政治参加への意欲も高く、時代を逆行させてはいけないという思いも強い。また、全ての若者が政治に無関心であるわけではないし、私の身近なところにも熱烈な国民党ファンや民進党ファンの若者はいる。しかし、当時を知らない若年世代にとっては自由も民主主義も生まれた時から既に与えられていたものであり、その上の世代とは認識が異なることも事実であろう。選挙の熱気が冷めやらぬ台北の夜、私は、「なぜ自分は国民党(民進党)を選ぶのかは深く考えずに、何となく親の支持政党に投票した」と語る若者、「選挙当日は家でネットゲームをして外出しなかった」と語る若者たちと出会う中で、言いようのない虚しさを感じてしまった。

 しかしながら、希望は全て潰えてしまったわけではない。私がそう確信したのは、やはり蔡英文が敗北宣言をしたあの夜の光景である。次の選挙に向けた民進党支持者の戦いは、あの時既に始まっていた。開票速報によって疾うに蔡英文の当選は不可能であると知っていながら、なぜ支持者たちは板橋へと向かったのであろうか。雨が降りしきる中、なぜ彼らは家路につかなかったのであろうか。それは、この蔡英文敗北の瞬間が次の戦いに向けたスタートを切る瞬間であり、民進党支持者たちがネバーギブアップと団結とを改めて確認する場であったからである。次の選挙が行われるまでの間台湾における健全な民主主義を維持するために自分たちは何をすべきなのか、次こそは必ず政権を奪還するために自分たちは何をすべきなのか、今後それらを突き詰めていくために必要な時間であったからである。

 人間にとって自分自身の生活が大切であることは言うまでもない。目先の利益にとらわれがちになるのも、私達人間が持っている本質的性格であろう。しかしながら、目の前にある幸福や安定ばかりにとらわれていては、大局的視座を失ってしまうということを忘れてはならない。台湾のみならず日本も含めた世界各国がチャイナマネーの恩恵を受けている今の時代、私達はもう一度自らの現在と未来を見つめる必要があるように思われる。

 今後、私たち日本人は今まで以上台湾情勢を注視していくべきであろう。そして、時代の流れに呑みこまれることなく、物事の本質をしっかりと見極め、言うべきことははっきりと言う、そういう日本人になるよう努力を積み重ねて行くことが、私達に課せられている使命であるように思われてならない。

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