これが抑止力 (2012年02月17日) |
78歳の誕生日をあちらこちらで祝っていただきました。いくつも歳をとってしまった、そんな気分です。いまはこの70歳代を謳歌していますが、80歳代に入れば新たな世界がまた広がる、のかもしれません。
9日は熊本で、陸上自衛隊の医療関係者が全国から集まっての会合がありお話をしました。見渡す限りのオリーブ・グリーン、制服姿です。この熊本では、サマーワに陸上自衛隊が派遣されていたあの時代に、西部方面隊の司令部でお話をしたことがあります。そこで、熊本からサマーワに派遣された女性自衛隊員にテレビ通信で直接エールをお送りしました。初めてです、あんな遠くの方とテレビで対面したのは。さらに、何か書いて欲しいと言われて、無事の帰還を祈る黄色いハンカチのようなものに書いたのですが、これがひどい字となりかつ間違ってしまい、それがサマーワまで送られてしまうということがありました。いまでも忘れられません。しかも、後で分かったのですが、このときの西部方面総監の林直人さんも書かれていて、これが見事な書なんです。穴があったら入りたい、とはこのことで、永遠のトラウマとなっています。
でもこのとき、当時幕僚副長だった番匠幸一郎さんにずっとアテンドいただき、それは素晴らしい思い出となっています。なにしろ、第1次イラク復興支援群長として活躍された陸上自衛隊のホープで、恰好いい方のアテンドでしたから。施設のご案内もいただき、トラックのような軍用車両が一糸乱れない形で等間隔で見事に並んでいるのを見たとき、すごいですね、と申し上げました。これがとっても大切なんです、とのご説明、外観を見ただけでその軍隊の力量が分かってしまうからだそうです。戦闘状態とも言えるサマーワで、こういうことが、訓練が行き届いた立派な軍隊ということで、大きな抑止力になる、とのことでした。抑止力というのはそういうこと、相手に侮られない、相手を近づけさせない、そういう力が形となって現れていることこそが大切なのです。言葉で平和を唱えれば平和になれると考える人たちがいかに甘く、愚かかということをこのときあらためて考えてしまいました。そんな御題目が通用しない相手がたくさんいるのがこの世の中です。番匠さんのご説明は、まさに危機管理の要点を突くものでした。
この熊本行きは、井上和彦を通しての依頼でした。ご存じの方もおられるかと思いますが、彼はわたくしを師匠と呼んでいる軍事評論家、たくさんの本を上梓しているいま売り出しのジャーナリストです。前日8日、その日に前もって熊本入りしている和彦が空港で出迎えてくれて、そのまま夕食となりました。久しぶりにゆっくりと話をして、出会いや、彼が世に出るきっかけなど、懐かしい思い出、これはいずれちゃんと書いた方がいいよね、ということにもなり、実のある、濃縮された時間となっています。翌9日も空港まで見送ってくれて、お礼に空港で熊本ラーメンをご馳走しました。安上がり、でも二人で食べたラーメン、美味しかった。
13日はANAインターコンチネンタルホテル東京での講演、公益法人全国老人福祉施設協議会での会合でした。会場はホテルのプロミネンスホール、ここは政治家の募金パーティで何回か来ていますが、この日、この講演では、初めてわたくしが主役です。冒頭で、老人とは言わないでほしい、高齢者と言ってほしい、と申し上げました。「老人」という言葉にかなり抵抗があるのです。この協議会も英語名では「Japanese Council of Senior Citizens Welfare Service」と「Senior Citizens」(高齢者)としているわけですから。でもいづれはほとんどみんながお世話になる施設ですから、精いっぱいのエールを送ってまいりました。