いつまでも頼られる側でありたい (2010年05月05日)

 

 世の中はゴールデンウイーク、何十キロの渋滞、それでも出かける人々のエネルギー、そんな光景をテレビで見ながら事務所での整理整頓に励んでおります。返事をいつか出さなくてはという手紙やもう一度読み返さなくてはという資料をチェックし、段ボール2箱の分類・整理ができました。いちいち目を通すのでとても時間がかかります。数日かかってここまで来ましたが、まだ別の段ボールが控えています。3箱まではこの連休中に整理しようと考えています。

 書架の整理に助っ人をお願いし、わたくしの記事が掲載されていない雑誌を捨てようとしています。そんなところに息子がやって来て、なんやかんや言いながら結局は助けてもらってる、他人様にやらせてるじゃない、とかなんとか。自分が手伝おうかなどとは言いもしないで。この連休中息子は房総半島千倉への家族旅行でしたが、3日の夕刻に義理の父が突然亡くなり急きょ戻って来たのです。道が空いていれば2時間ぐらいのところを、7時間かかったとのこと。渋滞があっても、いつもであれば上手に避ける息子ですが、このときばかりはそうもいかなかったようです。

 人間何が起こるかわからない、予測できないものです。義理のお父上、息子の嫁のお父様は車椅子生活で少しアルツハイマー気味ではあったものの、家族にとってはあまりにも突然の訃報でした。24時間で介護しているお母様の負担を考えると施設への入居も考えなくては、との家族会議直前のできごとです。息子の嫁は長女、当然お母さんが頼りにするだろうし、頼りにされた嫁は当然息子に相談する、だからしっかり支えになってあげて、と息子に申しました。すると息子は、我が家の場合はいつまでも母ちゃんを頼りにするからね、と。まぁー、とは思いながらも、考えてみると頼りにするよりは頼りにされるほうが気分はいい、これからも突っ張ってそんな自分でいたいとは思います。いつまで続くかはわかりませんが、願わくば一生人に頼られる側でありたいものです。10年ほど前に夕刊フジで、人間だからいつどうなるかはわかりませんが、気持ちとしては福祉を支える側にまわりたい、と申しました。家族においては、最終的には頼りにして支えになってもらうのでしょうが、気持ちとしてはいつまでも子供達に頼られる信頼される親でありたい、そんな思いを新たにしております。

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