歌舞伎座さよなら公演 (2010年04月28日)

 

 少々ゆとりのある日々です。23日は、講演する機会などめったにない明治記念館、事務所から車で10分ほどの便利なところにあり、午前10時半講師会場到着の約束ながら、朝が苦手なわたしでも楽に行くことができました。翌々日の25日は歌舞伎座さよなら公演の観劇です。

 今月の公演を最後にいよいよ歌舞伎座もその姿を変えることとなり、建て替えのための閉館となります。いつもは午前の部と夜の部といった2部制なのですが、今回はそれに午後の部が加わって3部制、盛りだくさんの内容です。それがもうすべて満席で切符がとれないとのこと。デパートの閉館セールでものすごい人がつめかけ大繁盛、これなら閉館しなくてもいいのでは、と思うようなことがありますが、最後と聞くとつめかける、人間って不思議なものです。古くなってしまい建て替えざるを得なくなった歌舞伎座とデパートの閉館とは様子は違いますが。

 さすが最終公演、名優たちが勢ぞろいです。ご招待いただき、3時からの第2部を観劇することができました。出し物は「寺子屋」、「三人吉三巴白浪」、そして最後が「藤娘」、これは藤十郎、80歳になろうという藤十郎の藤娘、まぁー若くて綺麗だこと、本当に驚くような、早変りもしまして、実に絢爛豪華です。幕が開くと舞台は真っ暗、そこが一瞬にしてパッと明るくなって舞台一面に藤の花が下がりそのなかで藤十郎が踊ります。いやー、芸の力ってすごい、80歳ですよ、これほど若くて美しい娘の踊りを演じるのです。

 「三人吉三巴白浪」も名優ぞろい、お嬢吉三に菊五郎、和尚吉三が團十郎、お坊吉三を吉右衛門といった名優の共演で、見ごたえのある、圧倒的な三人吉三でした。「寺小屋」には大好きな玉三郎がでています。松王丸の女房千代をやるのですが、松王丸は幸四郎、武部源蔵を仁左衛門、源蔵の女房が勘三郎という、これも豪華な配役です。玉三郎、それは綺麗、でもちょっと、もっと長い芝居が観たかったなぁ、という思いも。

 夜の部ですと「助六」があります。日本に留学して最初に観た歌舞伎が「助六」でした。台湾で憧れていたひとつが歌舞伎、来日してすぐにでも行きたかったのですが、最初が肝心だから、とクラスメイトの親友のお兄さんが、11代目團十郎の襲名披露公演の「助六」まで待ちなさい、と。じっと我慢をして、4年生になったばかりの春に歌舞伎座デビューとなりました。このときの揚巻は歌右衛門、当代名優二人の共演、11代目團十郎は美しく、俳優も舞台も豪華絢爛、歴史に残る出し物だったといえるでしょう。

 ですから夜の部であれば、「助六」に始まり「助六」で終わる、というとてもよい完結となったのです。とは言うものの、自分で切符を手に入れる努力もせず、他人様にご招待いただき、しかも至れり尽くせりのお気遣いをいただいて、これ以上の贅沢は言えません。忙しさにかまけ、予定が立てにくいことを理由に切符をとらなかったわけですが、こうして考えてみるとやはりこのさよなら公演は「助六」であるべきだったかな、切符を取るべきだったかな、と思ったりもしています。3年後の新歌舞伎座完成後となるでしょうが、いまの海老蔵が13代目團十郎を襲名するときの「助六」をぜひ観たい、それを楽しみとしておきます。

 歌舞伎座で思わぬ方をお見かけしました。最初の「寺子屋」が終って「三人吉三巴白浪」が始まる直前に小泉さんが入ってこられたのです。あの小泉純一郎さんが。そこで次の幕間に、席に戻る彼に声をかけようとストーカーまがいに待ちました。幕間になるとVIPはどこかにある特別室に入りぎりぎりまで出てきません。観客全員がほぼ着席し、幕が開く1分前ごろになってやっと降りてきました。以前わたくしのパーティにお越しいただいたことがあり、機会があればまたお声をかけようと、連絡先を伺うつもりでした。わたしを見て「おー」と握手をしたまでは良かったのですが、連絡先を尋ねると、「かんべんしてよ」と見事にふられました。歌舞伎座さよなら公演でのハプニングでした。

 ホームページやメールを担当している事務所のスタッフが休暇から戻りました。台湾旅行とウォーキングで忙しかったようです。以下本人からの報告です。

 <そのスタッフから>
 しばらく不在でご迷惑をおかけいたしました。台湾は高雄と台北で4泊5日の家族旅行、新幹線に乗り、名所を訪ね、台湾料理の美味しさをみんなで堪能してまいりました。帰国後にウォーキング、一人で7泊8日、昨年自宅から静岡まで168km歩いたので、今年は静岡から京都まで334kmを歩きました。1日40km強となります。来年はさらなる長距離にチャレンジしたいと考えています。

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