「新型」騒ぎ オペラ通いの日々 (2009年05月08日) |
新型インフルエンザ発生の第一報を聞いたのは4月24日深夜、マンハッタンのホテルであった。
メキシコですでに67人の死者(当時の報道)、全米で8人の感染者、N・Yクイーンズ地区の高校生からも多数の陽性反応が出ているニュース。19日にN・Yに到着して以来、ずっと時差に悩まされ、寝付かれないままに、テレビを見ていたが、もう寝るどころの騒ぎではない。しばらく報道から目が離せなかった。
年に一度この季節に遠出をする。取材と充電を兼ねて、ヨーロッパ、アメリカと行き先は気の向くままに決める。今年はメトロポリタン・オペラハウス125周年記念なので、気合が違う。ワーグナー「ニーベルングの指環(ゆびわ)」全4作をジェイムズ・レヴァイン指揮、オットー・シェンク演出で上演する。ほかにも「ドン・ジョヴァンニ」(モーツァルト)、「イル・トロヴァトーレ」(ヴェルディ)、「愛の妙薬」(ドニゼッティ)とオペラ好きなら垂涎(すいぜん)のラインアップだった。「指環」の3作目、「ジークフリート」が帰国当日だったので見逃したが、まず「神々の黄昏(たそがれ)」、「ラインの黄金」、「ワルキューレ」の順で、11泊の内、9回メトに通うオペラ三昧(ざんまい)、至福の時間だった。
北欧神話を下敷きにワーグナー作詞・作曲、のべ15時間を要する史上最大の「指環」は、時には冗舌、時には荒唐無稽(むけい)とも思い、なかなか感情移入できないのだが、「ワルキューレ」には心を揺さぶられる。神々の王、ヴォータンが妻フリッカに手も足も出ない場面、一番お気に入りの娘ブリュンヒルデ(ワルキューレ)の処罰に苦しむ父親としての苦悩。神々を支配する権威を維持するには、みずから掟(おきて)を守らなければならない。命令違反した者は娘だろうが息子だろうが罰しなければ王としての力をすべて失う。この厳しさが秩序を成立させるのである。しかし、神々の世界にもほころびが始まりつつあった。それを救えるのは英雄の出現を待つしかない。
「私の助けを一切受けず、自立した者だけが英雄になりうる。わが庇護(ひご)のもとに在る者はすべてわが奴隷」とヴォータンは言う。ジークフリートに希望を託すが、彼も奸計(かんけい)に惑わされ命を落とす。「神々の黄昏」は必然なのだ。
マンハッタンでは、新型インフルエンザの影響は目に見えなかった。マスクをつけている者はいないし、メトは常に超満員。両隣のアメリカ人は昨年5月に切符を買って、4作とも同じ座席。いきなり同好の士として盛り上がった。ジークムントをプラシド・ドミンゴが歌う巡り合わせに大興奮していたら、後方席のオジサンが「声が出ていない」と文句タラタラ。「普段セレブの姿をよく見かけるが、この作品(指環)には本物のオペキチばかりだな」と宣(のたま)ったのは隣の超メタボ紳士。7回も通うと自慢する者もいた。
「行きはよいよい、帰りは怖い」。成田に着陸したのは1日午後4時10分。それからが長かった。検疫官がなかなか現れない。無罪放免で機内から解放されたのは6時近くだった。新型インフルエンザ侵入を防ぐ水際作戦に文句を言う者はいないが、国の安全保障になると危機管理に対して百家争鳴となる。
他者依存の社会は黄昏れるのみ。自主独立で励むのが再生への道であろう。