老後は人生の総決算 (2008年05月02日)

 
 後期高齢者医療制度が世間の強い批判を浴びている。来年にはその仲間入りをする身としては、決して人ごとではない。とは言っても、テレビの取材に「年寄りは死ね、とでも言うのか」と強い口調で抗議をしている方々の言葉には少々違和感がある。

 日本は世界一の長寿国家。原因はいろいろ挙げられるが、国民皆保険で、高度な医療が受けられる制度に依(よ)るところが大きい。引き続き健全に運営され るには、それなりの財源が確保されるべきである。高齢者にある程度の負担と覚悟を、と言わなければ、逆三角形になる人口分布の社会は倒壊する。

 「老後とは、その人の人生の総決算」。例外は常にあるが、大多数の人は人並みに働き、暮らし、家族に看取(みと)られて生涯を終える。学習、勤勉、忍耐、努力の日々の上に穏やかな老後があり、日々の幸せがある。

 英国の作家、サマセット・モームには鋭い人間観察の短編が多い。「ザ・ロースト・イーター」は、そのシニカルで冷徹な目線に容赦がない。ロートス(アジ ア・アフリカ産のハス・スイレン)はギリシャの伝説に出てくる想像上の植物で、その実を食べると夢心地になって一切の浮世の苦しみを忘れることができる。 主人公はこの実を食べたかの如(ごと)く、宮仕えの日常から、南の楽園へ逃れた。しかし伝説とは違い、この世の現実は厳しかった。

 トーマス・ウィルソンはロンドンの銀行マンだった34歳の時、初めて訪れたカプリ島に一目惚(ほ)れし、1年後、職を辞し、全財産で25年の年金を買 い、移り住む。当時35歳の彼は、60歳まで気楽に生活を楽しめば十分だと考え、その年齢を生き延びたら自分で人生にけりを付けると決めたいた。

 語り手の「私」がウィルソンに会ったのは、彼のカプリ生活15年目であった。それから13年、カプリを再訪した「私」が聞いたのはウィルソンの無残なその後である。一酸化炭素自殺を試み死にきれず、半病人になっていた。結局66歳で死ぬまで島の厄介者であった。

 安楽な生活を送ると、強靭(きょうじん)な精神性は磨(す)り減る。「自業自得だた、しかし、それにしても悲惨な話だ」と「私」は呟(つぶや)く。25年の「理想的な生活」に対する代価は、6年の屈辱的な日々との野垂れ死にだった。

 保険料天引きの不評から、この怖い物語を連想していたら、隣席のご婦人から声をかけられた。「先生も電車に乗ることがあるのですか」。JRの車中である。

 新宿から板橋までの間に、彼女が10年前に夫を亡くし、今は80歳であること。息子がいるが、皆各々(おのおの)所帯を持っているので一人暮らしである こと。朝起きると紅をさし、身綺麗(みぎれい)にし、時にはこうして電車に乗る。別に目的地がある訳でもない。ただ動くこと、目や耳で確かめ、感じるのだ と話してくれた。

 市井のささやかな物語はメディア向きではないが、実直な人生の穏やかな日々は感動的ですらある。偶然の出会いで語り合った高齢女性2人、なぜか優先席には座らない。

 老後とは人生の総決算。貧困も孤独死も、自ら歩んだ道のりの終着点なのだ。

 長い春だった。新緑の裾野(すその)に所々ピンクの絨毯(じゅうたん)が残っている。緑の豊かになるこの季節、御苑を独り占めして、本日も晴天なり。
ページトップへ