悲観論飛ばす富士の美 (2009年02月06日)

 
 日米欧、ロシア、中国、インドなど計17カ国で実施された調査で、相対的に金融危機の影響が小さいはずの日本が、最も悲観的であった。(フジサンケイ ビジネスアイ1月30日付)

 たしかに国政も天候も「視界不良」である。16日に出かけた青森県六ケ所村ではこの冬初めての地吹雪に見舞われ、22日、千葉鴨川では一寸(いっすん)先も見えない濃霧。24日の出雲にいたっては、雪雲のため二度の着陸に失敗し、羽田に引き返した。散々な正月であった。

 ところが後日、「地吹雪体験ツアー1万人」目となりながらも、台湾からの55人は、地吹雪を体験できなかった、とテレビが伝えていた。遠路はるばる台湾からやってきても、雪は注文通り降らない。仕事で出かけて、貴重な体験もしたと思えば、ラッキーなのだ。しかも六ケ所村にはかねがね一度は訪れたいと願っていた日本原燃株式会社の再処理施設がある。一挙三得の旅だった。

 「原発『クリーン』広告は不適切」という小さな記事が日本経済新聞に掲載された(1月31日付)。電気事業連合会(電事連)が雑誌に掲載した「原子力発電はクリーンな電気のつくり方」という広告コピーに、日本広告審査機構(JARO)が「原子力発電にクリーンという表現を使うことはなじまない」と表現の再考を促し、これに承服できない電事連はJAROに再考を要請している、と伝えていた。

 原発について、技術的な知識はないが、理系の亡夫は「電力の消費が年々増えているのに、反対、反対と唱えるのは無責任。原発は一番クリーンなエネルギーなのだ」が持論だった。

 資源の乏しい日本は「技術立国」の道しかない。常に半歩先、一歩先を歩いていなければ、低賃金の労働力を供給できる国々とは勝負ができない。ライフラインを支え、便利で快適な生活を供給するため、どれだけ多くの人が、汗水流して貢献しているか、原燃の現場に立って改めて考えさせられた。

 出雲へは用心して前日入りのスケジュールを組んでいたので、一番確実な寝台特急に急遽(きゅうきょ)変更。東京駅22時発、出雲市駅翌朝9時58分着の「サンライズ出雲」に乗り込んだ。数年前、ベネチアからパリまで乗ったオリエント急行に比べたら、快適さはかなり落ちるが、費用は10分の1。朝のカフェオレも焼きたてのクロワッサンもなかったが、「ブラインドを開けると、雪国だった」。

 鴨川の濃霧の先にはスペイン料理があった。苦あれば楽あり。苦を避けていたら楽はやってこない。

 六ケ所村からの帰路、羽田空港は夕焼けに輝き、遠くに富士が映えていた。モノレールの沿線にも富士が見えた。普段、往路は新聞を読むし、復路は暗くなっていることが多い。数えきれない回数乗っていても、ついぞ気が付かなかった。日暮れ時のモノレール、浜松町に向かって左、出発まもなく、広々とした背景に、そのうちビルの合間に時々姿を現す。些細(ささい)な発見だがうれしくなる。

 冠雪した富士は特に美しい。寒く晴れ渡った日、サロンの窓からその凜(りん)とした姿を眺めながら、熱々のロイヤル・ミルクティーを飲む。「視界絶好」、ハッピーな一日の始まりだ。

 明日7日、めでたく後期高齢者の仲間入りをする。
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