フォルモッサの夢 (2008年07月30日)

 
 朝、レモンティー1杯。明日の人間ドックに備えて、本日(24日)は絶食。しかもこれから下剤入りの水2000ccを飲まなければならない。地獄の責苦 だ。食いしん坊にとって1日でも食事にありつけないのは辛(つら)い。すきっ腹に、変な味の水を2000ccもつめ込むのはもっと辛い。昨年は、少しでも 早く終わらせようと頑張った結果、最後の250ccをもどしてしまった。今回は慎重にゆっくり時間をかけなければ...。

 年に1度の健康診断を始めたのは4年前。病院嫌いの夫を無理矢理誘ったのだが、間に合わなかった。予約をキャンセルするわけにもいかず、結局1人で受けてきた。

 22日夕刻、成田から台北への機中で読んだ「自由時報」の1面に陳水扁前総統が暴漢に背部を蹴(け)られたニュースが大きく出ていた。裁判所に出廷する直前であった。

 同紙の裏には1面広告で中国青島で被害に遭った台商(台湾の経営者)の訴えが人目を引いた。「環宇集団 血涙控訴」と大きな赤い字の見出しはかなり ショッキングである。23日は「自由時報」が事件を記事にし、24日には他紙も後追いした。役人が結託して台商の資産をむしり取る話は今に始まったことで はない。台湾の大企業「新光グループ」の経営者も逮捕され、大騒動になった。さすが「新光」が相手では「まずい」と上層部が判断、釈放を命じたが、「飛ん で火に入る夏の虫」は後を絶たない。

 翌23日、日中に所用を済ませ、夜は「最後の晩餐(ばんさん)」。旧友の集まりにタイミングよく合流できたのだ。8人中6人が日本留学経験者、残る女性 2人はご主人と一緒に日本に滞在している。同世代、文化背景も似た者同士、大いに座が盛り上がった。わけても羅福全元駐日代表の話は秀逸だった。

 故宮博物院主催のピサロ展で見た年寄り、あれは「僕の20年後の姿だ」と言う。外労(外国人介護士)に車椅子(いす)を押されながら、その老人は杖(つ え)で地面をコツコツ打ち、「蘇州夜曲」を一人大声で唄(うた)っていた。8人中7人が70代。「20年後」などと明るく老後をイメージする羅福全氏はさ すが大物である。話題は「マイ・ラスト・ソング」に移った。羅氏のラスト・ソングは正に「蘇州夜曲」であり、次が「海行かば」。羅氏曰(いわ)く、著者の 久世光彦氏と全く同じだそうだ。

 マイ・ラスト・ソングはヴェルディ初期のオペラ「ナブッコ」第3幕第2場の、ユーフラテス河畔で、ヘブライ人たちが祖国への想いを歌う合唱曲「行け、我 が想いよ、黄金の翼に乗って」。日本、アメリカに留学し、蒋介石政権にブラックリストに載せられた独立運動者たちは、望郷の念をこの曲に託したものだっ た。民主化後、晴れて帰国し母国で就職した同志も数多くいたが、「フォルモッサ(麗しの島=台湾の別称)」の夢は夢のまた夢になりそうだ。

 それにしても下剤入りの飲物は不味(まず)い。まだ半分以上ある。原稿に集中すれば少しは気が紛れるかと思ったが、不味いものは不味い。

 健診はいつも台南で受けている。明日、検査が済んだら夜は「阿霞飯店」。台南一の伝統料理を提供する店へ行く。リベンジなのだ。

 8月7日は神宮球場花火大会。例年はお盆の時期で築地が休みになるのだが、今年はなぜか7日に決まった。雨なら翌8日に順延。日台交流サロンでは7、8両日にすしパーティーを開催する。優先席から「ぶっとばせ北京五輪!」。
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