「不満の春」にも花は咲く (2008年04月04日)

 
 人の世に何が起ころうが、花は咲く。満開のさくらを前に、傷心の身は呆然(ぼうぜん)と立ち尽くし、上野の花見に招かれていたのをすっかり忘れ、失礼してしまった。

 台湾の総統選で民進党の候補、謝長廷氏が大敗した。初期の世論調査、25ポイントの大差を詰め、終盤は並んだかに見えた。合言葉は「逆転勝利」。国民党の候補、馬英九氏も守勢に転じ、焦りを見せていた。

 グリーンカード問題、中国との共同マーケット政策、馬氏の失点が重なった。アメリカの永住権を持ち中国に傾斜する馬氏を総統にするのは台湾人の選択ではない。

 流れを決定的に変えたのはチベットの騒乱。ラサで発生した抵抗を中国政府は軍や警察で抑え込んだ。ダライ・ラマ14世は、「文化的虐殺が起きている」と 記者会見で強く抗議した。100人以上の死者が出たとも言われている。日本の友人は口をそろえて「神風が吹いた」と言い、欧米の民主主義諸国はこぞって中 国を非難した。

 国民党の独裁と白色テロに苦しんだ台湾人が、中国のチベット制圧に危機感を募らせるのは理の当然。これで「勝った」と断言した雑誌編集長もいた。

 危惧(きぐ)がなかったわけではない。投票前日、在台チベット人のシットインを声援に出かけたが、ガラガラの現場に座り込みの女性が1人。顔見知りの台 湾人だった。夜には大勢集まると言うので、民進党の集会に出た後、もう一度寄ってみた。昼にはいなかった僧侶が数人、支持者らしき人たちが10人ほど、通 りすがりの者がチラホラ。

 チベットは遠く、台湾人は無関心だった。50年の長きにわたって中国人に抑圧された苦難の記憶もすっかり消えたのか、連帯の気配はない。すぐ近くに国民 党が集まって気勢を上げていた。周りには大型バスがずらりと並び、地区ごとに動員が掛けられていたのが見え見えだった。民進党会場での熱狂。チベットへの 無関心。国民党支持者からの憎悪の視線。ジェットコースターに乗った気分だ。

 勝負は開票後1時間でついた。台湾独立建国連盟の事務所に爆竹の音が聞こえてきたのはその20分後、近くに国民党系の建物があり、狂喜乱舞でもしていたかのような騒々しさだった。

 翌日、東京に戻る飛行機の中、ふいに「われらが不満の冬」を思いだした。大学の卒論でジョン・スタインベックのテーマの変遷をたどり、この最後の小説を 考えてみた。シェークスピアの「リチャード三世」に出てくる「われらが不満の冬」という言葉には鬱屈(うっくつ)した思いが詰められていた。「怒りの葡萄 (ぶどう)」「エデンの東」で知られるアメリカの大作家が、数々の賞の仕上げにノーベル文学賞を受賞したのはこの作品の発表後であった。

 怒り、鬥(たたか)い、家族、憎悪、諦(あきら)め、そしてかすかな希望。多彩なテーマと話題作を提供しながら、作家の晩年は決して恵まれたものではな かったという。半世紀にわたる台湾独立への道も、怒り、鬥い、連帯、希望、そして「われらが不満の春」を迎えた。一体全体誰が敵なのか。「怒りの葡萄」に も同じような慨嘆があったと記憶している。

 それでも花は咲く。「優雅な生活が最高の復讐(ふくしゅう)」とスペインの諺(ことわざ)は言う。今日4月4日は日台交流サロンのお花見。8階の優先席からワイン片手に御苑を見下ろし、この世の憂さを吹き飛ばそう。
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