恵まれた者の使命 (2008年10月03日)

 

 麻生丸船出を迎えたのは雨嵐であった。まず、閣僚が首相を含め18人中、11人が世襲議員、と指摘された。続く小泉元首相の引退は引け際の見事さを印象づけた半面、後継者に二男を推し「小泉、お前もか」と批判される結果になった。加えて、中山成彬国交相(辞任)の立場をわきまえない発言から引き起こされた騒動は、致命的ですらある。

 成田空港については、建設当時の経緯から現状に至るまで、一利用者として思うことが多くある。特に反対運動に精を出した政治家や活動家が喜々として、その空港を利用している姿を見るにつけ「恥知らず」と言いたくなる。多大な犠牲と代価をかけさせてまで反対したのなら、外国へは関西空港でも中部空港からでも飛ぶべきだ。私ならそうする。

 しかし、このコラムではこれ以上その問題に立ち入るつもりはない。本日の話題は世襲であり、大好きな映画「炎のランナー」(イギリス1981年)について語りたい。

 1924年パリ・オリンピック。陸上競技のイギリス選手の物語である。金メダルを取る2人のスター、その2人をたたえるナレーターが回想を進める。

 ケンブリッジ・キース・コレッジの学生、ハロルド・エイブラハムスはイギリス社会においてユダヤ系としての苦悩や怒りを、オリンピックで爆発させる。アマチュアリズムのオリンピック精神に反して、手段を問わず、プロのコーチを雇って、100メートル走で金メダルを獲得する。牧師の卵、エリック・リデルは天才ランナーであり、神にささげるために走る。パリ大会で100メートルの予選が安息日であることから出場を拒否する。

 ハロルドの学友、アンドリュー・リンゼイ卿は貴族出身で、障害走の選手。彼のナレーションは母親に出す手紙の形で進められる。選手たちの合宿を可能にする母親の莫大(ばくだい)な寄付に対して礼も述べている。スポット・ライトを浴びる2人に対してリンゼイ卿は一見地味だが、実は彼こそが、この物語の魂なのだ。「私はすでにハードルでメダルを1つ獲(と)っている。この際400メートルで金を獲る可能性の高いリデルに自分の権利を譲りたい」と申し出た。彼は貴族として、自分の役割とは、自分が走ることよりも、陸上王国イギリスに1つでも多く金メダルをもたらすことだと考えた。

 最も見事だと思うシーンは、広大な屋敷の庭でのリンゼイ卿の練習風景。優雅にお茶を楽しみ、客を送り出した後、着替えを済ませた彼の前にはハードルがずらりと並んでいる。両端にシャンパングラスが置かれ、バトラーがシャンパンを注いでいく。

 タイムだけの問題ではない。メダルも最高の勲章ではない。いかに美しく走り、跳躍するか、シャンパンを一滴もこぼさず、いかに美しくハードルを飛び越えるか。

 民族の誇り、出自のアイデンティティーのために走るハロルド。信仰のために走る天才ランナー、エリック。そしてnoblesse oblige(高位に伴う義務)を体するアンドリュー(リンゼイ卿)。三人三様の走りとも見事であるが、心に刻み込まれているのは、この貴族青年の立ち居振る舞いである。

 恵まれた者の使命、明るく強い、美しい日本への献身以外に、世襲へのそしりを免れる道はない。

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