中国人の意味する『統一』 (2002年03月24日) |
先月、ブッシュ大統領が中国の清華大学で講演した折、「なぜ台湾問題の解決を望むといい、統一を望むといわないのか」と、学生からの激しい反発があったという。
中国人の伝統的な感覚では「統一」は常に絶対的な善であった。例えば孔・孟・墨など諸子百家が550年ものあいだ繚乱と咲き競った春秋戦国という時代は、いたずらに小国が乱立する「乱世」として受取られる一方、戦国の群雄を滅ぼした秦は、焚書坑儒など無茶をやって40年で終ったのに、有史来初の天下統一の偉業を謳われ、「シナ」「チャイナ」の語源となったのである。
実際には、近年出土した7000体に及ぶ等身大の兵馬俑や4000キロに達する長城遺跡から想像して、この40年間の強大な中央集権制の下で人々が仕合わせだったとはとても考えられない。しかし中国人の感覚では国家が統一されたかどうか、皇帝の権力がどこまで及び、帝国の版図がどれほど拡大されたかが最大の価値基準であって、それぞれの時代に個々の人々がどのように暮したかを問う発想は皆無に近い。
中国人における「統一」とは、自分を常に「中原」に位置づけ、華夷秩序意識に基づいて周辺諸民族を制圧・吸収していくプロセスをいう。これは他民族に中華文明の恩恵を施すことだから「徳化」とよばれる。チベット人は侵略併呑ではなく徳化されたのだから感謝すべきという事だ。
同じ理屈で言えば、阿片戦争以降中国は西欧の近代文明を教えてもらったのだから、欧米帝国主義諸国の侵略に感謝しなければならないのだが、いかがなものだろうか?
この「統一」フェティシズムは現代中国人の中にも厳然と生きている。台湾はあくまで「統一」すべき相手で「解決」を協議する対等者ではない。この中国原理主義、ブッシュさん分かっただろうか。
「中国民族統一の大義」を云々する日本人もときどきいるが、中国人の毒気に当てられたとしか言いようがない。