愛なしで仕事はできない (2009年03月06日) |
本紙が3月1日から始めた連載「20年後のあなたの人生は?」を読んで、20年前に思いをはせた。あのころ、しがない非常勤講師を兼任していた身としては、現状を予想だにできなかった。
掲載誌が見つからないので、確実な日付は覚えていないが、今はなき「朝日ジャーナル」に「私にも言わせて」の連載ページがあった。筑紫哲也編集長時代、二十数年前のことである。寄稿したのが、わが非正規雇用の声だった。
学生時代に教わった大学教授は多いが、感銘を受けた教授は片手で数えられる。本人の単なる不勉強でもあるが、授業内容は記憶に残っていない。学生にとって始終休講する課目は、むしろ歓迎だったりする。無責任な教師を軽蔑(けいべつ)していながら、楽勝単位を事前に調査して登録する者が多い。学生がサボるのは権利の放棄だが、教師が手抜きをするのは許せない。
大学の非常勤講師の手当は、専任に比べると約10分の1だが、20年以上続けたのは、他に選択がなかったという事情もあるが、母校へのお礼奉公の気持ちもあった。台湾から留学してきて、学部4年、修士3年、博士3年と計10年在学した。最後の3年は大隈奨学金まで頂いた。
ジャーナルに書いたのは、卒業論文の指導を依頼された顛末(てんまつ)があまりにも笑えるからであった。
ある年、英文科の主任から「卒論は専任が指導するのが筋だが、金さんは講師歴も長いし、十分に資格があるので、数人引き受けてくれないか」と相談され、すんなり承諾した。
学士論文の指導教授には本当にお世話になった。教育者らしい教育者であった。及ばずながら、その恩師に見習って、月に1度学生を集め、茶菓子を供し、中間報告をさせた。
分不相応の報酬を期待していたわけではないが、年度末に振り込まれた額は1人につき7000円。1年間、英文科の学生にとって学習の総決算である卒論の指導をして、この数字、言葉も出ない。専任でも1年ほったらかしにして、最後に卒論だけを読んで採点する教授もいるが、読むだけでも7000円は時給1000円以下。いくら母校愛に燃えていても、さすがに次の年卒論指導は断った。
ジャーナルに書いた一文の締めをはっきり覚えている。「聞くところによると、博士論文の読み賃は1万円だという。審査資格がなくて、本当に良かった」
正規と非正規の格差を問題にしている議論に正社員側からの発信がほとんど聞かれない。派遣よりも役に立たない社員もいるだろうが、根本的な違いは、ロイヤルティーを要求されるか否かである。わがJET日本語学校の採用基準は、常勤、非常勤にかかわらず「この学校を愛するか」が問われる。自分の職場を愛さない者にまともな仕事ができる訳はない。
「JETを選択してよかった。日本に留学してよかった」と学生が思うような教育をするのが目標である。
薄給の非常勤講師ではあったが、私は母校を愛し、教え子を愛している。人の和・地の利の積み重ねが天の時を招いた。テレビにデビューしたのは還暦の1年前、59歳の新人だった。それから16年、使い捨てが常識のメディアで生き延びているとは、われながら奇跡である。
20年後は残念ながら自信がない。