「結論ありき」の豪遊批判 (2008年11月05日)

 

 「初めに結論ありき」。10月26日堺市の大阪府立大学で開催された教育問題討論会が怒号とやじで橋下徹知事の発言がかき消される記事(産経新聞同27日付)を読み、組合や学生紛争華やかなりしころの「大衆団交」を思いだした。話し合いする気など毛頭ないのだ。

 日本社会はすべての会合をシャンシャンシャンと締めくくるのが当たり前。仕切りの腕の見せ所であった。総会屋がはびこったり、根回ししたり、事前に発言者が用意されたりする。紛糾すれば主催者は立ち往生し、収拾がつかなくなる。強力な圧力団体にひたすら譲歩するトップが輩出し、追いつめられて自殺した校長がいた。

 最近の麻生太郎首相に対する「夜の豪遊」批判も、世襲、金持ち、贅沢(ぜいたく)、従って「庶民の苦しみを理解できない」と一部のメディアが野党を巻き込んで「初めに結論ありき」のキャンペーンである。社会全体が不況に苦しんでいるご時世に夜な夜な高級レストランやホテルのバーに出没するのはいかがなものか、と問われれば、多くの庶民が「許せない」という。半径100メートルの周囲にしか興味がない者にとって、一国のリーダーがどれだけの重荷を背負っているのか、想像する気もなければ、理解しようと試みたこともないだろうから、当然の成り行きだ。

 ホテルのバーが高いか安いかは問題ではない。高級料理店がファミレスより高いのは当たり前だ。G8のメンバー国である日本のトップが、庶民と全く同じ生活をしていて、サミット会議に出席してまともな発言ができるのか。現に、ナポリサミットで、村山富市首相(当時)はディナーを欠席した。気おくれしたのか、体調を崩したのか、理由がなんであれ、一国を代表して出かけたのに職務を全うすることができなかった。

 庶民の健全な金銭感覚は大切にするべきだ。入るを量りていづるを制する生活が基本であることは言うまでもない。駅前に林立する消費者金融の看板をなぜ問題にしないのか。個人破産をしても大した弊害はないと言う前に「まじめに働いて、税金を払う喜び」をなぜ説かないのか。メディアは真っ当に生きている者ではなく、「弱者」にばかりウエートを置く報道をしている。税金を納め弱者を救済する側にエールを送らなければ、福祉制度は崩壊する。

 台湾の李登輝元総統は観音山の頂上に登り、下界を見下ろし、リーダーとしての孤独と重責を噛(か)みしめた。その立場にない者がその心境を理解するのは不可能。想像力がいかに豊かでも限界がある。深く考えもせず無責任な言論を弄(ろう)するのは「初めに結論ありき」に踊らされる行為である。

 「日教組のつるし上げが怖くて教育改革などできるか」。橋下知事の向こう気の強さに期待する。

 麻生首相には庶民性を保ちながら、洗練された出処進退で堂々と勝負してほしい。国連でのメカ事故の際「これは日本製ではありませんね」ととっさにジョークがでる余裕は得難い資質である。葉巻だろうが、バレンタイン・ウイスキーだろうが、ブランデーだろうが、自由にやればよい。したたかな先進国の首脳たちと対等につき合うリーダーが、今の日本には必要なのだ。庶民の金銭感覚でとやかく言うのはお門違いというものだ。

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