喧騒と無秩序を見た年初 (2009年01月09日)

 
 元日の朝、ハノイの大教会は新年のミサに善男善女が集まっていた。1886?87年に建造された別名セント・ジョセフ教会の外観は、かなり薄汚れていた。正面バラ窓の真下に丸い看板が打ちつけられていて、全く唐突な正面の景観になっている。

 教会内はあふれんばかりの信徒で、祭壇に近づくのは不可能だった。共産主義国家のカソリック教会を一目見たくて出かけたのがうかつだった。ヴェトナム語の聖歌が耳に少々異様に響いてくる中、神父が入り口近くまで来て、奥に行けない信徒に聖餐(せいさん)を授けていた。ステンドグラスが見事とのことだが、遠目に一瞥(いちべつ)し、退出した。瞬間、「乙女の祈り」が流れ始めた。

 仏領時代の残影を求めて、ホテルの隣に位置する、1911年にパリのオペラ座を模して建造された大劇場を到着早々に訪れた。正月の出し物は、プッチーニの「ラ・ボエーム」と広告が出ていた。1月13、14の2日間上演される。指揮やスタッフの一部は外国人らしい名前だが、合唱、オーケストラは劇場所属。すべて判読なので正確に伝えられるのは数字だが、入場料は30万、20万、15万ドン。円高なのでゼロを2つとり、2分の1にすればよいと、在留邦人に聞いた。つまりは1500円、1000円、750円なのだ。一度ヴェトナム人主体の「ラ・ボエーム」を観てみたいものだ。

 「ここが都とは思えない静謐(せいひつ)なたたずまい...旧市街の路地に迷い、湖畔で流れる雲を眺める。ヴェトナムのこんな穏やかな時間を過ごしたかったんだと、南の喧騒(けんそう)の街からやってきてふとそう思う」というガイドブックの情報は、とんでもない見当違いだった。ここハノイも南のホーチミンと負けず劣らず喧騒と無秩序だった。年末年始だから特に混雑していたとしても、教会まで車で2分の距離が優に20分かかった。何しろ逆方向もヘッタクレもない。めったやたらにバイクや車が割り込んでくる。警察も、すべての車が10分近く立ち往生してからやっと交通整理を始めた。

 前日、ホテルからホアンキエム湖周辺や旧市街に、徒歩ででかけたときは、命がけの横断が続いた。スピードが出せないから、事故が少ないのかと思っていたら、帰国後、実は事故が非常に多いと知らされた。それにしてもすき間を縫って、数人乗りのバイクが、わき出るように現れる。こんな相手では、文明国家アメリカが勝てる訳はない。ベトナム戦争の敗北は必然的だった。秩序と無秩序が戦えば、バイタリティーに富んだ無秩序が勝つ。自由だ、民主だ、人権第一だと御託を並べていては、人間はひ弱になる一方だ。

 ヴェトナムに行くと言ったら友人が「一号線を北上せよ」(沢木耕太郎)を送別にくれた。読み物としては面白かった。ホーチミンからハノイまでバスの旅をし、「ヴェトナムの道は人生に似ている。平坦(へいたん)な道が続いたと思うと、大きな穴ぼこがまっている」と著者は言う。「落とし穴」は実人生で沢山だ。旅に出てまでそれを求めるつもりはない。危機管理は秩序の世界にしか通用しない。

 東京に戻ったら、イタリア文化会館から「ラ・ボエーム」試写会の招待状が届いていた。プッチーニ生誕150周年にちなむものだった。
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