このままでは日本転落 (2008年09月05日) |
9月は、福田首相の辞任表明で幕が開いた。北京五輪、伊藤和也さんの殉難、集中豪雨。8月の話題が一瞬にして吹っ飛んだ。
予感がなかったわけではない。8月10日上梓(じょうし)した弊著「政治家の品格、有権者の品格」で三宅久之さんが福田評をしている。「政治家になるときもなった後も受け身。(中略)総理になったのもある意味、行きがかり上だから『もう貧乏くじを引いてしまった』ということを平気で言っている。これがこの人の一番困ったところです」「政治家は、自ら手を挙げてやる職業だと思います。国民が『リーダーシップがない』と福田さんを支持しない理由も彼の受け身の姿勢にあるのではないでしょうか」。首相はハナからこの国のために献身する覚悟などなかったとしか言いようがない。
10歳の孫娘が退陣の実況放送を見ていて「楽になりたかっただけじゃないの」と言ったそうだ。皮肉なことに、辞任会見の言葉が在任中最も明確な意思表示となった。自民党の起死回生を狙ったという評価さえ出ている。
今、日本はまさに"外憂内患"の真っただ中にある。山積された難題に対応するには、生半可な態度は通用しない。腹をくくらなければならないのだ。
北朝鮮は核カードを手放す気配はなく、拉致問題も一向に進展しない。中国の覇権主義はとどまるところを知らず、台湾をのみ込み、台湾海峡を内海にしたら、次は太平洋をアメリカと分割統治にと考えている。「太平洋を地中海に」「友達が嫌がることはしない」などと、能天気な発言をくり返す首相が退陣し、人心を一新するのは、むしろ喜ぶべきことなのだ。
ただし後継者が誰であろうが、このままでは政局は変わらない。衆参のねじれによる国政の停滞、積年の難問を解決するどころか、日銀総裁の人事一つ決めることができなかった。このままでは日本は転落する。
解散総選挙が目の前に迫っている。有権者が主役の民主主義の世の中では、政治家は国民が望む、あるいは望むであろう行動をとらなければならない。ポピュリズムに迎合しなければ、選挙には勝てないのである。そこで問われるのが「有権者の品格」である。
メディアはこぞって「政府が悪い」「政治家が悪い」と責めたてる。責められて当然ではある。しかし、政治家を選び、政府を構成するのは国民である。主人公たる国民が一切の責めを負わず、悪いのは常に政府と政治家であると責任回避に徹してよいのだろうか。
今度こそ有権者はメディアに振り回されてはならない。「SAPIO」(9月24日号)の特集はずばり「腑抜(ふぬ)けたテレビが日本をダメにする」。「姫の虎退治」に浮かれ、「姫」に6年の任期を与えた選挙民は今何を思うのか。1年に1億、6年で6億の血税に値する国民の代表として「姫」に1票入れたのだろうか。国民にとって、生活は第一である。しかし、国の安定なくして生活が成り立つ訳はない。国益を無視し、ひたすら有権者にこびる、パフォーマンスだけの候補者には断固「NO」をつきつけてほしい。
政治家のリーダーシップを期待するなら、国民一人一人が真剣に考え、選び、支援、監視すべきである。個人と国は運命共同体なのだ。
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