不思議な出会い (2009年08月18日)

 

 8月15日靖国神社、さすがにたくさんの人で賑わいました。この日は特別な日、この日には絶対お参りする、と会津若松から毎年出てくる友人もいます。快晴の中、みなさん汗をかきながら戦歿者追悼中央国民集会に大勢お集まりいただきました。わたしの提言の持ち時間は15分でしたが、少し超過して18分ほどになってしまったようです。わたしにとっては、あっと言う間の18分でした。インターネットにどなたかがノーカットで掲載(1/22/2)しています。興味のある方はぜひご覧ください。

 16日は、来月9月中旬出版予定の「日本を讒(ざん)する人々(予定タイトル)」(PHP研究所)、これは渡部昇一さん、八木 秀次さんとの3人での鼎談ですが、その校正と「あとがき」の執筆です。翌17日、浅草橋まで出かけたのですが、途中の電車で不思議な出会いがありました。

 四谷駅で、浅草橋まで各駅停車で直接行くか、快速でお茶ノ水で乗り換えるか、迷いながらも浅草橋出口が近い先頭車両に向かってホームを歩いていました。結局快速ということにして、先頭車両位置にたどり着く前に入ってきた快速の適当な車両に乗り込んだのです。その車両にインド人のグループがいて、そのなかの若い女性が席を譲ってくれました。最近の日本人ではあまりお目にかかれません。次の駅で降りますから結構です、と一度はお断りしたのですが、いえいえ、と言われて、ありがとうございます、と譲っていただいたのですが、あなたの英語は素晴らしい、と褒めていただき話が始まりました。

 話をしているうちに、お父さんが日本で日本語の勉強をしたこと、それも何と我がJET日本語学校で、ということがわかりました。2つ先に座っていたお父さん、わたしがサングラスをしていたので、そうかなぁとは思いつつも話かけなかったとのこと。何年も前、そのお父さんと初めて出会ったのも電車の中でした。不思議な縁です。

 当時、お父さんはインド産のものを日本に輸出する仕事で来日しており、日本語を勉強して日本で本格的に商売をやりたい、という希望を電車のなかで話してくれました。それならうちの学校にどうぞ、ということでビザを取ってJET日本語学校に通い始めたのです。JETであればしっかりした運営なので年配であってもビザが取りやすい。まあ、あまり勤勉な学生ではありませんでしたが、ビザ取得をきっかけにか、いまは横浜で店を持ち、今日は娘、婿、孫と一族全員を連れてのお出かけ、一人ひとりを紹介していただきました。

 ともに電車での偶然の出会い、乗る車両やドアが少し前でも、後ろでも実現しなかった出会い、人生は不思議、楽しい、そんな思いがしました。

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