安芸市役所みなさんのご努力に感服 (2009年07月29日)

 

 娘と息子がまだ子どものころ、お祭大好きな「お祭小僧」と二人をひやかしたものです。ところが、わたくし自身がお祭小僧だということがわかってきました。講演先でのお祭との出会いが多く、ついつい引き込まれる、これはわたしがお祭小僧である証しだろうとおもうのです。今月18日の小倉・祇園太鼓というお祭に続いて、23日木曜日は「うわじま牛鬼まつり」でした。胴体が牛で、長い首に鬼の顔がついています。

 講演を済ませてから、食事に出かけ、商店街でお祭を見物し、ホテルに戻ると海のほうで花火が始まりました。花火が気になるのですが、独りで海岸まで出かけるのはたいへんそうだし、と考えていると、ホテルの屋上からよく見えるとのこと、早速行きました。ところが屋上にはだれもいない。わたし独りでしばらく見物していたのですが、さすがに不用心、しかたなく部屋に戻りました。そのとき、わたしもかなりの「お祭小僧」なのだとあらためて思ったのです。

 宇和島では、行ってみたいとかねてから思っていた美味しい蒲鉾屋さんを訪れました。田中蒲鉾本店というお店です。かなり昔、お土産にいただいて、その味が忘れられず、それからは松山空港を通るたびに買って帰っています。講演が終わってから早速駆けつけ、社長さんにもお会いし、日台交流サロンでのイベント「花火を楽しむ夕べ」用への手配もしました。これで念願がひとつ叶いました。

 宇和島での講演の翌日は高知・安芸市での講演です。宇和島からの移動手段をいろいろ考えましたが、結局「電車」となりました。5時間かかります。高知は愛媛の隣、なのに5時間、四国は広い、日本は大きい。「電車」に落ち着く前に考えたのは飛行機です。松山、羽田、高知、というルート、いや松山、大阪、高知、いやいや松山、福岡、高知、と。しだいに面倒となり、えいやー、で「電車」ということになりました。

090729.jpg トロッコ列車乗車証

 でも乗ってみるものです。2回乗り換えて3種類の電車に乗るのですが、宇和島から窪川というところまでの路線にはトロッコ車両がありました。まず普通の車両に乗り、あるところまでくるとトロッコ車両に移動する、これは別料金310円で、生まれて初めての経験です。

 くねくねと曲がる四万十川に沿っての、鉄橋、トンネル、鉄橋、トンネル、またまた鉄橋、トンネル、といったルートを走りながら、これだけの鉄橋やトンネルにどれだけ多くの人の、汗、血、涙、が流されたのだろうかと考えました。そう考えると、このトロッコ路線だけでなく、普段使っている電車、新幹線、飛行機なども、どれだけの人々の労力が費やされていることか、わたしが便利に動けるのはそういう人々のおかげ、と感謝の気持ちが湧いてきます。そんなことをみんなが考える必要があるのではないでしょうか。

 安芸は、小じんまりとした町ながらも、三菱の創立者、岩崎弥太郎の生地です。大財閥の創立者にしてはつつましい生家があり、座敷から眺める小さな庭には、弥太郎自身が子どものころに造ったといわれる日本列島を模した石組があります。自分の活躍の場はこの安芸にはとどまらず、日本全体だ、といった大きな志を子どものころから持って、この石組を眺めていたようです。この岩崎弥太郎の目から見た坂本竜馬、というのが来年の大河ドラマになる、と安芸の方が説明してくれました。

 安芸市主催で年1回開催される市民講座、5講座のうちの1つがわたくしの担当でした。これは、市役所の方々総出による手作り講座です。これだけたいへんな仕事を、課長さんや若い方々みなさんが手作りでやっていることに感服いたします。講座を終えてから、みなさんと食事をする機会があったのですが、来年の講座に備えての質問や相談を受けました。公務員は、官僚は、と批判めいたことをよく聞きますが、これほど熱心に働いている方々がここにいる、そんな現場に出会うたびに、その努力を一般の方々がどれだけ理解しているのか、感謝しているのか、と考えてしまいます。

 25日土曜日に安芸から戻り、休日の予定だった翌日曜日、日本青年会議所主催のサマーコンファレンスに急遽かりだされました。最後のメインフォーラム「『真日本建国』へ舵を切れ、そして真の民主国家へ」で、三宅久之さん、勝谷誠彦さんの3人と司会の日本青年会議所顧問 ・早山康弘氏でのパネルディスカッション、あっという間の1時間でした。でも会場いっぱいの青年会議所メンバーとまた顔を合わせ、メッセージを届けることができて休日返上の価値はありました。月曜日は日本テレビ 「太田光の私が総理大臣になったら...秘書田中」の収録でした。7月31日と8月7日の金曜日に放送されますので時間がありましたらご覧ください。マニフェストでの出演です。

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