忙しいのが似合いのようです (2013年09月12日) |
9月に入って少々忙しくなってまいりました。4日は池袋のシアターグリーンという小さな劇場で、ノエル・カワードの「夕闇」という芝居を観ました。カワードはイギリスの劇作家、わたくしが勉強した演劇分野では、well-made playという範疇に入る、いわいる「良くできた芝居」という一種の娯楽作品に分類されています。なかなか面白い劇作家です。この人の劇を久しぶりに観ました。
「夕闇」は彼の晩年の作品、というか遺作です。福田恆存さんが創立した現代演劇協会主催で、ご子息の福田逸さんが演出、これが最後の公演となり、協会の幕が下りるということで、駆けつけるべき、と出かけました。事前にお花も届けています。行ってみると入口に大きなお花が、「内閣総理大臣 安倍晋三」とありました。おかげでわたくしの花はすっかり目立たなくなりましたが、さすが安倍さん、義理堅い人です。福田さんは「安倍晋三総理大臣を求める民間人有志の会」のメンバーの一人として一生懸命頑張った人、そんな方からの招待状に応えて大きな花を届けています。ひょっとしたら、と思っていたら、本当にありました。わたくしの花は劇場の中のちょっとした台に置いてあって、あまり目立たず残念ですが、でもやはり嬉しかった、安倍さんの義理堅さと久しぶりのカワードのお芝居で。この作品はまさに遺作、これから死を迎える人の苦悩といった話で、わが身に振り返ってみていろいろと考えさせられることがありました。でも芝居が終わればケロッとして、翌5日に富山へ出かけています。
6日が富山商工会議所青年部主催の講演会です。先日の富山では、1日1組だけお客さんをもてなすという、家庭の主婦の方がやってるお店でしたので、お寿司が食べられませんでした。お招きくださった方のご配慮で、地元の方はお寿司を食べ飽きているのか、何か珍しいもので、ということなのでしょう。でも外から来る者にとって、富山といえばやはりお寿司です。そこで今回はそのリベンジとばかりに、お寿司が食べたい、とお願いしました。おかげでたくさんのお寿司が並んだのですが、あっちからもこっちからも話しかけられて、美味しいお寿司を目の前にしながら、あっちにもこっちにも応対して、気が付いたらほとんどのお寿司は青年たちのお腹の中へ。でも一応はいただき、リベンジを何とか果たしています。
8日、9日、10日は毎日講演で忙しく動き回りましたが、やはりわたくしは忙しいのが似合っているようです。事務所にいてもやることは山とあるのですが、片付け物をするのが主で、そんなに嬉しい仕事ではありません。外に出かけて、多くの人に話を聴いてもらえる、それが一番楽しい仕事、そのうえ地元の美味しいものをいただけたら最高です。
8日は群馬県伊勢崎市で、上毛新聞レディースクラブ主催の講演会、みなさん女性ばかりです。講演後は羽田へ、関空まで飛んで、そこから和歌山に行きました。飛行機が遅れて、羽田での出発便が詰まっていて、なんと14番目だというんです、一瞬頭に血が昇りました。結局4,50分遅れて和歌山へ、お迎えいただいた方とホテルに入ったのが何と夜10時半過ぎでした。ホテルグランヴィア和歌山、これが最悪、ルームサービスは一切しておりません、全てのレストランはもう終了しました、何階かに冷凍食品がございます、と。なにこれ、和歌山駅直結のホテルですよ。
わたくしはお昼を食べる時間のない日が多くて、このときもお昼抜き、もうお腹ペコペコでした。どうしようと思っていたら、ホテルの向かいに居酒屋が何件かあるとのこと、そのうちの一つ「笑笑」というチェーン店に行きました。生れて初めてです。まあ、そんなに悪くはなかったのですが、県庁所在地の駅に直結したホテルでありながら、お粗末すぎます。駅周辺も暗くて、地方都市が衰退していく様を垣間見た思いがしました。翌日散歩したときも、文化の香りが感じられません。みんなが努力して何とかしよう、という心がけがないとどんどん衰退してしまうのではないでしょうか。駅前で、憲法9条改訂反対、9条を守る、とかで何人かのお年寄りがビラを配り、署名を集めていて、署名してください、と言われたので、私は9条改正賛成、憲法改正賛成なの、と応じると、びっくりしたような顔をしていました。
9日はきのくに信用金庫主催の講演会、終了後和歌山から松山へ、この日はおなじみの全日空ホテルです。しかも若いイケメンが2人待っていてくれて、この店ならわたくしが気に入るだろう、と美味しいところに連れて行ってくれました。ふんだんに料理が出て、少し多すぎるくらいに、ここでやっとリベンジした、という感じです。翌10日は神社庁の年1度の総会で、今年は松山、会場は4,000人収容の大ホール、さすがに一杯にはなりませんが、1,700人ほどの方にお越しいただき、1階は満席、見えるところのほとんどに人がいるという状況でした。ここでわたくしの目標が一つできました、この大ホールを4,000人の聴衆で一杯にする、と。
2020年のオリンピックが東京に決まるという素晴らしいニュースを背にした3講演で、とても幸せな日々でした。間が悪いことには、決定の翌9日が新聞休刊日、ですからせっかくの東京誘致成功の新聞記事が見られない、まあ号外がでたようで、上毛新聞の号外を見せていただきました。でもテレビでいろいろ見て、そこでもう一つ目標が。2020年オリンピックまで何とか元気でやっていきたい、という。10日の神社庁での講演の締めは、この2つの目標に加えて、安倍長期政権の実現を上げて、みなさん大喜び、いや大喜びだったかな?、でもとにかく拍手をいただきました。松山からの帰りは、待機していた車に、講演後すぐに乗車して松山空港へ、予定の飛行機に無事搭乗し、定刻よりも5分ほど早く羽田に到着するという順調ぶりでした。何事も、めでたしめでたしでございます。