地方と大都会 (2013年09月04日) |
8月31日土曜日は鹿児島の指宿で、翌9月1日日曜日が大阪で講演でした。30日に東京から指宿に移動して前泊するのですが、29日のニュースでは台風が九州に迫っています。指宿というのは鹿児島県の端にあって、鹿児島空港から車で1時間半とか2時間近くかかる、その上台風です。そもそも鹿児島まで飛べるのか、無事着いたとしても台風が九州に上陸したらこんどは大阪に飛べないのでは、などと気をもんで。こんな時の危機管理、一生懸命いろいろと考えましたが、何かあったら連絡を取り合う、ということにして30日はとにかく羽田に向かいました。ところが、連絡先や行程をメモした手帳を忘れてしまったのです。携帯電話を持たないわたくしは、この手帳がないとどこにも連絡できません。まあ、幸いなことに鹿児島空港には予定通り着陸し、指宿に何事もなく到着することができたのですが、何かあったらひと騒動起きるところでした。
指宿の宿は5万坪という、めちゃくちゃ広い敷地を持つ白水館という旅館でした。鹿児島ですと通常は城山観光ホテル、眺めが良くて、定宿なのでみなさんとてもよくしてくださり、いつもいただく黒豚のしゃぶしゃぶも美味しくて、大好きなホテルです。今回の白水館、広大で、食事に行くのにも端から端までで遠くて大変、それに大きいホテルでお客さんもたくさんで、豚しゃぶといった好みの料理とはいかずに、きちっとしたコース料理となります。こういうのも善し悪し、それぞれの好みっていうものがあるわけですから。でも、精一杯のおもてなしをしてくださいました。
白水館に薩摩伝承館という素晴らしい建物があって、そこに見事な薩摩焼などが飾ってあります。中国の焼き物まであって、大変なコレクションです。ドレスデンで見た素晴らしい陶器のコレクション、これは王侯貴族だからこそできたことですが、今は国、そして国民の財産となって引継がれています。個人や一企業でこれを維持することはとても難しいのです。台南で美術館を始めた知人がおりますが、会社収益の10%をその運営に充てるとのこと、立派です。この薩摩伝承館を建てた白水館の経営者の方々も、この価値あるコレクションを地域の宝として大切にして、後々までみなさんに見ていただきたい、と考えておられるのでしょう。
この薩摩伝承館が講演会場でした。たくさんの美術品に囲まれての講演、マナーのいい日本人だからいいものの、中国人だったらどうなったか、などと考えながらの講演となりました。指宿青年会議所の創立40周年記念講演会、満場のお客さんで、立ち見も出て、更に会場横のレストランにモニターを入れてご覧いただく、という盛況ぶりでした。ところでこのレストラン、社長さんの思い入れでできた、東京広尾の人気店"ACQUA PAZZA"のシェフによる本格的なイタリアン・レストランとのこと。なんだ、こんなところがあるんだったら、前日の夕食はここにすべきだった、と悔しい思いをしながらの講演ともなっています。
この講演会で指宿の町全体がざわざわした、と主催者から聞きましたが、青年会議所の若者たちが一生懸命にやって、大成功でした。天候が少々悪かったにも関わらず、立ち見まで出て。ところが、翌9月1日の大阪では空席が少しありました。田部井教育振興会主催の講演会、定員700人の大阪商工会議所国際会議ホールで800人の申込があったのですが、蓋を開けてみたら空席が、地方と大都市の違いを見せつけられた思いです。
なんだかんだ言っても、大都会は甘やかされている、わたくし自身東京に住んでいてそう思わざるを得ません。公共交通網が発達していて、とにかく便利、インフラもしっかり整っているし、文化的な催しもたくさんある、いろいろな意味で恵まれています。それが当たり前になって、感謝の気持ちが薄れている、過保護にもなっている、そんな気がします。この講演会にしても、たくさんある催しの一つであり、申込はしたけれど、いざとなればどうでもいい、という人が出てくる、ところが地方ではたくさんはない華やかな催し、天候が少々悪くても行く、ということなのでしょう。
心配した台風の影響もほとんどなく、指宿、大阪の講演をほぼスケジュール通りに終えることができました。嵐を呼ぶ女、と言われつつもこうして無事に移動、仕事をしっかりこなすことができて、ほっとしています。残暑ではあるものの、いま事務所の窓いっぱいに広がる空と御苑の景色はもうすでに秋の気配です。