赤十字国際医療救援隊へのエールと感謝 (2011年06月14日)

 

 9日は横浜です。地下鉄みなとみらい駅で降りると、地上にいろいろな建物があるので地下はまるで迷路、講演会場のあるホテルにたどり着くのにあっち迷い、こっち迷い、本来の方向音痴もあって苦労しました。複合施設とでもいうのでしょうか、とても分かりにくいところでした。主催はオール日本スーパーマーケット協会、大手ではなく、全国各地で活躍するスーパーが集まって、勉強会や情報交換会などをやっている、今回のような大きな大会も年2回開催しているとのです。参加者が多く、かなり大きな会場で、終了後はみんなで食事、といった立派な催し事でした。

 スーパーにいろいろなものを供給している、味の素とかカゴメといった食品メーカーや食品輸入会社も参加しています。そういう方々を前に、食の大切さや食品供給システムの大切さのお話をいたしました。このたびの東日本大震災で分かったことは、ライフラインというものが、必ずしも電気、水道、ガスだけではない、ということです。食料供給、特にスーパーが提供している食料品が止まってしまうとどれだけの人がうおうさおうするか、食品や日用品のサプライがどれだけしっかりしたシステムに乗っていて、わたくしたちがどれだけいい思いをしているか、がよく分かったということ、そんなお話もいたしました。

 数年前、進歩的文化人たるような女性のエッセイに、アフリカに行き、日本に帰ってからスーパーにたくさんのものが並んでいるのを見て、実に幸せなんだと感じた、とありました。わたくしにしてみれば、馬鹿馬鹿しいこと、そんなことはとうに分かっている、日本がいかに豊かで、安心できて、必要なものがほとんど問題なく供給されている、それがアフリカまで行かないと分からない、そんな想像力の貧しい人がオピニオンリーダーをやってるような国だからおかしくなるんです、といった話もしています。

 11日が名古屋、朝の講演なので10日に名古屋マリオット・アソシエに入りました。夕食はマリオットにある那古亭、プレジデント3月7日号でわたくしが紹介した鉄板焼のお店、そのとき以来出かけていなかったので、礼儀上たまには行かないと、ということで名古屋に住む美齢塾塾生の若い男性2人を誘って出かけました。とても美味しい飛騨牛、アワビの蒸焼き、それに最後のチャーハンも美味しかったですよ。みなさんも機会がありましたら那古亭にぜひどうぞ。

 11日朝は名古屋第二赤十字病院の国際医療救援部設立十周年記念での講演、お話をいただいたときにはその日すでに松本での講演が入っていました。しかし、医療救援隊の方々にはどうしてもエールを送りたい、というわたくしの思いがあり、名古屋、松本両方で時間を調整していただきました。このため名古屋は朝から、松本は夕方近くからとなったのです。このスケジュールが決まってしばらくしてから東日本大震災が発生しています。

 その大震災でこの救助隊は大活躍、延べ200人の医療関係者が石巻へ、現地ではそれはもう大変な不便さがあるわけです。でも災害地での医療救援を普段から手掛けていて、いろいろなものが揃ってる、特に開発途上国では何から何まで揃えて持って行く、そんな活動を10年もやっていますから、いつでも We're ready! 、今回もみんなで順番に入れ替わりで駆けつけたそうです。そんなことをお聞きし、わたくしの話よりもよっぽど貴重なお話だと思いつつも、そうやって頑張っておられるみなさんにエールと感謝の言葉をお贈りしてきました。

 名古屋からは特急「しなの」で松本へ、松本青年会議所の城下町シンポジウムです。全国の城下町から青年会議所のメンバーが集まっています。会場はまつもと市民芸術館主ホール、サイトウ・キネン・オーケストラが年1回フェスティバルに使うという1800人も入るような大ホールです。このホールには思い出があります。

 10年ほど前です、李登輝さんが引退された翌年だったと思いますが、日本にお呼びする話がありました。中嶋 嶺雄(なかじま みねお)先生が台湾で李登輝さんとお話をされて、日本でアジアフォーラムをやろうということになり、それに出席していただくための訪日でした。先生が松本出身ということで、松本開催となり、李登輝さんが来られるとなればどれだけの人が集まるか、ということでこの大ホールで、ということになりました。ところが馬鹿な外務省のチャイナ・スクールの連中がどうしてもビザを出さない、李登輝さんは日本に来れませんでした。李登輝さんのいないアジアフォーラム、実に寂しく、壇上にいたわたくしも下を見渡して、寂しいなぁ、と思いながらパネリストをやった記憶があります。

 その日とは違ってたくさんの参加者のこの日、地方都市の国際化、ということでのお話をいたしました。台南に女性ばかりの青年会議所、台南女國際青年商會があり、今年が松本青年会議所との交流20周年で、台南からOBや現役がたくさん参加しています。そこで、わたくしの父親は台南出身です、といった話もして、夜はその方たちと台湾ナイト、食事をしながら楽しく過ごしました。残念だったのは、彼女たちが乗った飛行機、うんと小型で、乗客も半分ぐらいだった、とのこと。いろいろな国から日本にくるお客さんをどうすれば増やすことができるのか、これからのみんなの仕事だと思います。

 最後になりましたが、ありがとう台湾オリジナルTシャツ、着々と進んでいます。でき上ったら、みんなで着て台湾へ表敬訪問したい、そんな楽しいプランも考えています。そのときは案内を出しますので、楽しみにしていてください。

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